曹操からの伝書の内容は、従軍要請であった。
江東の孫権討伐のための出征に参加せよ、というものである。
地方官を歴任し続けた私にとって、従軍は初めての経験になる。
曹操は私を都へ呼び戻す契機として、この従軍を決めさせたのかもしれない。
「・・断れないな」
丞相直々の命令とあれば、辞退する事はできない。
私は袞州を後にし、都へと発った。
〜〜〜〜〜〜〜
「もし!」
不意に声をかけられた。
声をかけたのは臧覇将軍・・今回軍を共にする予定の男である。
時に出征目前の準備時であった。
「どうなされた」
「司馬朗どので間違いないか?司馬懿どのの兄君の」
「・・ええ、私が司馬朗です」
「司馬懿どのがお会いしたいと訪ねに来ておられるぞ」
「・・弟が?」
「うむ。・・では確かに伝えたぞ」
臧覇は言い終わるや、早々に兵士達の群れの中に消えていった。
(なぜ仲達が・・)
勿論今回の出征を自分から弟に報告するような真似はしていない。
それで弟に話が伝わらないとはまさか思ってはいないが、私からなにも言い出さない以上、向こうも何も言ってこないと思っていた。
軍の外れに行くと、果たして見慣れた姿が立っていた。
ポツンと一人。
袖の長い着物に身を包んだ恰好は、兵士の中では妙に目立つ。
その悪目立ちしている男は、私の姿をみつけると手を振った。
何がそんなに楽しいのか…ブンブンと。
恥ずかしいからやめて欲しい。
「兄上!」
「分かったから…手を下ろせ」
弟は少しはにかむ様に笑って、手を下ろした。
「…で、何用だ?」
何の目的で来たか知らんが、サッサと済ませて欲しい。
外征前に気分が下がる。
「何って…出征祝いです。兄上が戦地に赴くと聞いて、急いで来たんですから。前持って教えて下されば…」
ウンザリだと言わんがばかりに、私は大きなため息をついた。
実際もうウンザリだ。
何故弟はこうも私の癇にさわる行為を繰り返す?
何故放っておいてくれない?
仲達は、私のため息にやや面食らった顔をしていた。
無表情がちな弟には珍しい。
「兄上…体調がお悪いのでは?疲れが溜まっているのでは…」
ああ、もう…。
ワザとか。
ワザとなんだな。
私がそんなに嫌いか?
「戦地では疫病が蔓延していると聞きます。体調が優れないのなら、無理はなさらぬ方が…」
「うるさいッ!!」
私の怒声が、弟の声を遮った。
かなり大きな声をだしたつもりだが、軍の喧騒の中ではあっという間にかき消された。
だが、弟を驚かせるには充分だった様らしい。
「兄…上…?」
「お前が私の心配?笑わせる…笑わせるな!私の心配なんてご免だ!お前はお前の…自分の心配だけしていれば良い」
相変わらずポカンと口を開けたままの弟を尻目に、私は軍の中へ戻る。
弟の方は、振り返らなかった。
「仲達」
「…子桓さま」
「此度の事は、残念だったな」
「いえ…そんな…」
「ふん、らしくないな。いつも飄々としているお前がその様な…」
「兄は、私の自慢でした。人は私の方が才に勝るなどと言いますが、人格は遥かに兄の方が上でした。いつも私の事は良いから、自分のしたいようにせよと仰られて…」
「まぁ、お前と比べたら誰でも『いい人』だがな」
「…………」
「…やはりらしくないな…つまらん」
司馬家の兄弟話。司馬懿の「三顧の礼(笑)」ネタは好きです。 司馬朗兄さんが弟に強いコンプレックスを抱いていたらなという話。