長城に降る雪 長城に降る雪−1


【扶蘇】


私が北の僻地へ飛ばされたのは、父の思想統制を批判した為である。
父は数多の書を集め、焼き、法家以外の思想を廃そうとした。
私はどうしてもその考えには賛成出来ず、直接父に上訴した。
私が批判すると父は激昂し、私に北の防衛を命じたのである。
有り体に言えば、左遷だ。
太子である私に左遷という言葉が正しいのかは不明であるが。
都の多くの人間は、私の北行きを憐れんだ。
北へやられるという事は、皇太子の座から下ろされたと見なされたからである。
事実、私もそう思った。
私はもう、皇太子として都に戻る事はあるまい。
北へ向かう私の心境は、冷たい風が吹き荒ぶ北の大地よりも冷えきっていた。

「お待ちしておりました」

北の地で私を出迎えたのは北方戦線で活躍する将軍、蒙恬である。
幼い頃に何度か会った事はあるが、蒙恬はそれからずっとこの地で長城を築いたり、匈奴と戦ったりしていたため、あまり話した事もない。
日焼けか雪焼けか、肌は浅黒く焼けた見るからに屈強な男である。
そんな焼けた顔を目一杯綻ばせて、蒙恬は私を迎え入れたのだ。

「蒙恬、……久しいな。いつ以来だろうな」

「まだ太子様が成人前の頃以来でございます」

「そうか、もうそんなに昔の事なのだな……」

「何も無い所ですが、ゆっくりして行って下され」

「蒙恬、私は……」

「大丈夫です、太子様。またすぐに都へ戻れますよ」

「…………」

「陛下は、聡明な方であられますから」

にこりと微笑みかける蒙恬の笑顔があまりにも優しくてて、私は不覚にも涙ぐんでしまった。
私は急いで顔を俯かせる。
見られただろうか?
久々に会ったというのに、情けない姿を見せてしまっただろうか?
蒙恬は相変わらずの笑顔で私を見ている。
気付いていない?
気付いていないフリをしているだけかもしれない。
どちらにせよ、蒙恬は特に訊いてはこなかった。

そんな蒙恬の様子にホッと胸を撫で下ろしてから気付いた。
何故、かっこつける必要があるのか。
私はもう太子ではない。
左遷された、始皇帝の息子の中の一人に過ぎないのだから。



【蒙恬】


初めてその方にお会いした時、淋しそうな瞳が印象的だった。
幼い頃から優秀だと持て囃される一方、性格は冷たい方である。
周りからそう言われていたのを知っていた。
だが実際会った時、最初に目についたのはその淋しそうな瞳だった。
だから私は優秀だとか、冷たいだとか、そんな事よりも淋しい人なのだなと思った。
その淋しそうな瞳は、大人になっても変わる事はなかった。
だから私は自然と、この人の力になりたいと願った。

そして、今も――。
その人の瞳の色は変わらない。
私の想いも変わらない。
変わったのは、身分だけだろう。
手を伸ばせば届く距離にいるこの人は、更に私の手が届かない高みへと上ってしまった。
だからもう、会える機会も少ない。
こうやって話が出来たのは、何年ぶりだろう?
久々の再会に、自然と笑みが零れる。


「……寒いな、蒙恬」

その方は顔を伏せる様にして歩き始めた。
よほど寒いのか、顔が紅く染まっている。
そのまま、二人で砦へと向かった。

「……元気だったか」

「お陰様で。ご自身こそ、どうございましたか」

「特に」

昔から言葉の短い方だった。
そのくせ、妙に饒舌な時もある。
会う機会は多くはなかったが、会う度にどこか印象の違う不思議なお人だった。

「何か温まる物でもご用意致しましょうか」

「お前が作るのか?」

「お任せ下さい、楚にいた頃に習った料理を振る舞いましょう」

「どうせなら匈奴の料理とかにせぬか」

そう言ってその方はハハハ、と笑った。
再会してから、初めて見れた笑顔。
辛そうな表情が少しの間でも綻べば、私も嬉しい。



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