軍師殿と私 窈窕たる淑女は何処−2


「私は桂陽……ですか」

突然軍師の幕舎に呼ばれた趙雲は、いきなり桂陽攻めを命令された。
勿論荊州南郡を攻めるために近くまで来て本陣を構えたのだから、当然言われる事は戦の話に決まっている。
趙雲としてはつい先日諸葛亮を怒らせた件もあり、諸葛亮からの呼び出しと聞いた時はかなり動揺したのだが……。
いざ会ってみれば、いつもとなんら変わりない諸葛亮である。
呆気に取られるほど、声音もいつも通り。

「桂陽の太守は趙範といいます。大した男ではありませんから……趙将軍お一人で大丈夫でしょう」

「そうですか……」

……これで良かったはずだ。
向こうが無かった事にしてくれるというならば、それを受け入れるべきだろう。
そうは分かっているのだが……、何故か淋しい気がしてならない。

「他の二県へは、既に関将軍と張将軍を向かわせてあります。――以上、何か質問は?」

「え……?」

「無いのならば、早速桂陽に向かって頂きますが」

諸葛亮の命令はいつも短くて、簡潔だ。
久々に話す機会を得たのに、このままではまた暫く顔を合わせられなくなる。
とは言え、先日の件を蒸し返せる筈もなし。

「軍師殿は、その……」

「私ですか?私と殿は本陣を守ります。何かありましたら、本陣に報告を下さい」

「そうですか……」

「それだけですか?」

「あ、あの……」

何か話題はないかと必死に頭を捻るが、何も出ない。
趙雲がずっと黙りこんでいるのを、諸葛亮は質問無しだと判断したようだ。

「では、ご武運を祈ります」

諸葛亮は羽扇を持った手で拱手を掲げ、礼をした。
趙雲も慌てて礼を返した。



命令を受けた以上は趙雲は任務に忠実だ。
出来る限りは余計な事は考えない。
趙雲は仕事のON/OFFの出来る男である。

「桂陽城の様子はどうだ?」

趙雲は桂陽の一人を斥候を出した。
しかし待つまでもなく、斥候はあっという間に帰ってきた。

「どうした?」

「それが……」

「?」

「桂陽は正門が開かれて、投降の立場をとっております」

「なんだと……?」

趙範は、劉備軍に対して投降した。
諸葛亮はそんな事一切言わなかったから驚いたが、充分考えうる事態ではあった。
最初は趙雲も半信半疑であったが、武装されていない城内を見て、ようやく信用するに達した。

「ようこそ桂陽城へ、趙雲将軍」

一人の男が、大勢の供を連れて、趙雲達の一行の前に現れた。
身分が高い者だということは、一瞬で見当がつく。
趙雲は慌てて馬を降りた。

「……貴殿は?」

「私は趙範。この城の太守にございます」

「ち、趙範殿でしたか」

「はい、趙雲将軍に投降の意を示すべく参上致しました」

そう言って趙範は拱手を掲げ、深く礼をした。
趙範は人の良さそうな男だった。
小柄なので、丈高い趙雲と並ぶと頭一つ分以上は小さい。

「趙雲将軍を歓待する宴を用意しております」

「宴?そんな、申し訳ない……」

正直こんな状況で宴をされても、楽しめるとは思えない。
趙雲は劉備や張飛達と騒ぐ宴……とも言えないような酒盛りは、嫌いではない。
しかし知らない人間ばかりの堅苦しい宴は気が進まない。
特に酒が好きなわけでも、美女の舞が好きなわけでもないからだ。
出来れば回避したいと思ったわけだが、趙範はそれを趙雲の遠慮だと受け取った様だ。

「遠慮なさらずに!とびきりの酒と料理を用意しております故!」

「はあ……」

趙範に半ば強引に連れられ、趙雲もようやく覚悟を決めた。
趙範も喜ばせようとしてやっているのだ。
せっかく抵抗を見せずに投降してくれたのに、荒波をたてるのも利口ではない。

「ささ、趙雲将軍。どうぞどうぞ」

「かたじけない」

趙範は趙雲にピッタリと寄り添うように腰をおろし、しきりに酒を進めてくる。
趙範なりの誠意なのだろうが、これではせっかく用意した料理も女楽隊も、楽しむ暇がないという事には気付いていないらしい。
確かに酒は良いものであったし、趙雲は酒にも弱くはない。
それでもこう飲まされては、多少は辟易するというものだ。

「趙範殿、もうこれくらいで結構」

趙雲が失礼でない程度に手を振ると、趙範は残念そうな顔をしてからやっと、酒器を下ろした。

「時に、私も趙雲将軍も同じ趙姓でございますよな?」

「ああ、確かにそうですな」

「これも何かの縁。これからは義兄弟としてよしなに」

中華の人間にとって、姓は重要な要素である。
己と同じ姓を持つ人間はそれだけで親切にするし、助け合う。
同じ姓ならば同じ一族……年の近い男同士ならば、兄弟のように振る舞う。
そうするのを良しとする風習が、確かに中華の地には根付いていたのである。

「それはこちらこそ、願ってもない」

趙雲は拱手に笑顔で返す。
爽やかで人当たりの良い笑顔を作るのは、趙雲の得意とするところである。
勿論、本当は喜ばしくない場合でも、である。


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