「ならばこの際、遠慮はせずに申し上げましょう」
「?」
趙範はすっくと立ち上がり、パンパンと手を二度、大きく叩いた。
何かの合図の様だ。
部屋の奥が、俄に騒ぎ始めた。
「何事ですかな?」
趙雲が尋ねるも、趙範はただニコニコと笑うばかりで一向に答えない。
その内、女が数人固まって入ってきた。
女達は皆下女、唯一中心の女だけが、身分の高い女であるらしい。
この様な田舎の城にいるのが意外な様な、美しい女である。
女にしてはスラリと背が高く、ほっそりとした肢体は漢の成帝の愛妾であった飛燕もかくや、と思わせる程である。
しかし何故、今この場に出てきたのか分からない。
宴で酌をするような身分の女には見えないのだが。
「……この方は?」
趙雲が言っている間に、趙範とは逆の側に女は座った。
女の服に焚き染めてあるのか、花の様な薫りがふわりと漂う。
劉備軍内では、決して嗅ぐことは出来ないであろう、上品な薫り。
女は恥ずかしそうに、顔を伏せている。
近くで見ても、やはり美しい。
「この方は樊氏。私の兄嫁でございます」
「左様ですか。実に美しい女性ですな」
趙雲の言葉を聞いてか、女は少し頬を赤らめた。
己が美しいと言えば、大抵の女は顔を赤くするという事を、趙雲は経験から知っている。
何故か昔から女受けは良かった。
「しかし何故義姉君を?」
普通、兄の嫁を宴に出したりはしない。
「いや、それなんですよ」
「は?」
趙範は何が楽しいのか、ニコニコと微笑みかけてくる。
先程までより一層笑みが濃い。
なんとなく媚びる様な感じが、どうにも受け付けない。
「実は私の兄……樊氏にとっては夫にあたりますか。兄は先に鬼籍に入りまして」
「それは、……ご冥福をお祈りします」
「そして義姉君は後家となりました。しかし、見て下さい!」
そう言った瞬間に趙範が樊氏を指差したので、趙雲もつられて樊氏の方を振り替える。
自分へ急に注目が集まり、樊氏は一層恥ずかしそうに目を伏せた。
「義姉君はまだ若い。そして美しい」
「そうですな……」
「未亡人として一生を終わらせるには、あまりにも惜しい!」
「………………」
趙雲は馬鹿ではない。
むしろ良く気がつく方だ。
趙範が何を言わんとしているか、既に見当がついた。
「不躾ながら、私はこの辺で退室させて頂く」
「ち、趙雲殿!?」
趙雲がおもむろに立ち上がったものだから、趙範は目を丸くして驚いている。
先程まで視線を落としていた樊氏も、驚いた様子で趙雲を見上げている。
「私には当分所帯を持つつもりはありませんので」
「そ、そんな趙雲殿!!」
追いかける様に趙範も立ち上がる。
「ご覧下さい、ほら。これほど美しい女性は、洛陽でもそうそうお目にかかれませんぞ」
「そうかもしれませんね」
趙雲はサラリと答える。
趙範は黙った。
趙雲の言葉の続きを待っている。
「しかし私と趙範殿が義兄弟であるならば、樊氏は私にとっても姉。めとるなど、とんでもない」
「い、いや、それは……」
「そうでなくてもめとる気など無いですが」
「なっ……」
「少し美しいくらいで、私の気がひけるとでも?」
少しくらい、強く言った方が良い。
そう思って少々かっこつけて言ったが、どうやら効果は抜群だったらしい。
趙範は黙っている。
今度は単に、二の句が続かない様だ。
一方未だ一人座ったままの樊氏だが、赤らんでいた筈の顔が、すっかり青ざめている。
自分自身、美しさには自負があったのだろうか。
趙雲が軽く睨むと、樊氏は怯えた声を小さく上げて、再び顔を伏せた。
美しさを鼻にかける様な女は好きではない。
一見穏やかでたおやかに見せようとしている場合は、尚更だ。
「失礼」
一言言い残し、趙雲は颯爽と部屋を後にした。