「誰ですか、貴殿は」
庶民が住むにはあまりに立派過ぎる家の主は、趙雲達を見てあからさまに顔を歪めた。
諸葛亮を歓待する気満々だったのだろう。
大きな門をくぐった瞬間から、至れり尽くせり。
高級品の茶まで出されている。
趙雲は茶を飲む事はおろか、香りを嗅いだ事も無かった。
「お初にお目にかかります。某は劉備軍より参りました、龐士元と申します」
「私は貴殿を呼んだつもりは無い。軍師殿を呼んだのだが」
「はい、某は劉備軍の軍師中郎将の役を拝命しております」
龐統は先程までの軽い口調をおさめ、意外な程に丁寧な言葉を話した。
生まれが良いのだろうか、スラスラと畏まった言葉が続く。
しかし主の方は、いくら龐統が言葉を連ねようと、一向に機嫌を直す気配が無い。
「お引き取り願おう」
とうとう、追い払おうとし始めた。
「今度は諸葛殿を呼んで頂きたい」
無礼な主の振る舞いに流石に腹に据えかねて、趙雲はとうとう苦言を呈した。
「龐統殿が何か粗相を致しましたでしょうか。左様でなければこのぞんざいな扱い、納得がいきませぬ」
「趙雲殿」
龐統が軽く制止の声を出したが、後の祭りだった。
「ふん、なら言わせて頂く。まず、顔が気に入らない。仮にも外交の席に、この様な者を派遣するか?」
あまりにも失礼な物言いに、趙雲はいっそ剣でも抜いて脅してやろうとさえ一瞬考えたが、当の本人の龐統が涼しい顔のままであったので、なんとか溜飲を下げた。
趙雲達が黙っているのをいいことに、主は更に続ける。
「この様なパッとしない男。気に食わぬ」
「……確かに、貴公のおっしゃる通りでございます」
「龐統殿……」
龐統は相変わらず涼しい顔で、柔らかく話し始めた。
「……しかし、この郭家も立派になられたものですな。いつかは水害に見舞われて、他家に泣き付いた事もあったと言うのに」
「っ……」
郭家とは、当のこの豪族の一族の事である。
龐統が急に何を語り始めたか趙雲には全く分からなかったので、とりあえず黙っておく事にした。
「あの時援助の手が延びなければ、この郭家は今頃……」
「確か姓は龐……。よ、よもや……」
主の顔が、面白い程青ざめていく。
詳しい事は良く分からないが、龐統の言葉がそうさせているらしい。
「いや、これは失礼な事を申し上げました!あ、土産がありますのでどうぞお持ちになって下さい」
先程までの勢いはどこへやら、いつの間にかまるで別人の様に腰が低くなっている。
一体どんな技を使ったのか。
まるで狐に化かされているような気分を、趙雲は味わっていた。
二人は居心地の悪い豪族の屋敷を後にして、早々に宮殿へ着いた。
龐統に持たされた土産品は、品の良い香炉だった。
造りの細かい装飾の豪華な一品だ。
まだ香は焚かれていないが、すでに何やら良い香りがして来そうな、そんな気さえする。
その美しい香炉を龐統が持っていると、なんとも不釣り合いで苦笑を誘う。
「良い物を貰いましたな、龐統殿」
「本当はそう思ってないでしょう趙雲殿」
「あは、いえ……」
龐統は趙雲の考えている事がお見通しの様だが、特に怒った風でもない。
先程豪族の主に言い返した点からも、もはや言われ馴れているのかもしれない。
それはそれで悲しいが……。
趙雲がそんな事を考えていると、龐統はヒョイと香炉を趙雲の方に差し出した。
「えっと?」
「悪いがこれ持って孔明の所に行ってくれないかな。ちょっと儂は殿に報告に行ってくるんでね」
趙雲は恐る恐る香炉を受け取った。
触るとより、この香炉が実に繊細に出来ているのが分かる。
「は、はぁ。それは分かりましたが、何故ぐ……諸葛亮殿の所に?」
「多分孔明、ずっと儂らの事気にしてると思うからさ。行って、無事帰ったと伝えて欲しいんだよ。儂も後ですぐに向かうから」
「では、この香炉は?」
「だってそれ、孔明の為に用意されたもんだろうし。孔明が要るかどうか分かんないけど、とりあえず儂は要らないから孔明にあげて」
「これが、諸葛亮殿のために……?」
龐統はさも当然だと言いたげに頷いた。
「こんなもん最初から用意されてるなんてありえんだろう?儂の為ではないし、だったら孔明の為だとしか考えられん」
「そ、そうですね……」
「儂には似合わんかもしれんが、孔明になら良く似合うだろうしねぇ。孔明は香も焚くしな」
「…………」
確かに、似合う。
だがたからこそ、なにか面白くなかった。
「んじゃ、頼んだよ」
頼まれたからには、行くしかない。
趙雲は香炉を脇に抱え、諸葛亮の部屋へ向かった。