桃の夭夭たる 灼灼たり その華
この子 于き帰ぐ
その室家に宜しからん
桃の夭夭たる 有にふんたり その実
この子 于き帰ぐ
その家室に宜しからん
桃の夭夭たる その葉 蓁蓁たり
この子 于き帰ぐ
その家人に宜しからん
桃のその若々しい様よ、燃えるように咲くその花よ、
桃の花のようなこの子は今お嫁に行く、嫁ぎ先にふさわしいお嫁さんになるでしょう。
桃のその若々しい様よ、まことにはちきれんばかりに実っているその実よ、
桃の花のような)この子は今お嫁に行く、 嫁ぎ先にふさわしいお嫁さんになるでしょう。
桃のその若々しい様よ、その葉はふさふさと茂っている、
桃の花のような)この子は今お嫁に行く、 とつぎ先の人々にもいいお嫁さんになるでしょう。
――――――詩経『桃夭』
孫権からの急な使いが来たとあって、劉備達は一時騒然とした。
「また荊州の返還について申し立てて来たのではあるまいか?」
そう関羽が言うのも最もな話。
先日劉備と孫権で荊州四郡については話し合ったものの、孫権を始め孫権軍の諸将等は納得いかぬ様子であった。
「周瑜が死んだから、当分は静かにしてるだろうと思ったんだがなぁ……」
先頃急死した周瑜は、劉備軍に対しては戦も辞さぬという気風もあった過激派だった。
過激派の筆頭であった周瑜が死ぬと、次に軍の中心となった魯粛は一変して穏健派である。
そんな事もあり、暫くは孫権軍との交渉も落ち着くだろうと誰もが予見した具合であった。
しかしこうやって予見は外れ、孫権からの急使がやって来る次第。
「待たしておくのも悪い。孔明、悪いが一緒に来てくれ。」
「御意」
劉備は参謀たる孔明をつれて、急使との面会に臨む事とした。
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「劉皇叔におかれましては、ご健勝そうで何よりでございます」
使いとして訪れた男は一見して身分の高そうな男で、使い走りとして寄越されたわけではなさそうだった。
「前置きは結構」
劉備は軽く手を振った。
劉備という男は、どうしてもこういう類の社交辞令が好きになれないのだ。
「悪いが、早い所本題を頼む」
劉備の振る舞いに、使いの男は軽く面食らった様だった。
側で見ている孔明は、失礼ですよと劉備をたしなめる事などしない。
こちらのペースに持っていく事が、外交の場では何より有効だからだ。
勿論、劉備は狙ってやっているわけではないだろうが。
「実は此度、劉皇叔は奥方を亡くされたと聞き及びました」
「む、むう……?確かにそうだが」
事実、劉備は長年連れ添った妻を甘夫人を亡くしたばかりだった。
もう一人の妻の糜夫人は、とうに亡くなっている。
故に、劉備は今男やもめの状態なのだ。
「お悔やみ申し上げます」
「それは忝ない」
劉備の隣で聞いていた孔明は、口角の上がった口元を、手にした羽扇で隠している。
孫権が何が言って寄越したか、既に見当がつく。
まぁ、外交の常套手段だ。
「しかし皇叔が独り身というのも残念な事。そこで呉主は皇叔に一つ縁談を用意されたのでございます」
「縁談!?」
やはり、と孔明は笑いが漏れそうになるのを堪えた。
縁談の相手が誰なのかも、少し考えれば予想がつく。
だが孔明はあえて気配を殺して成り行きを見守っている。
「はい、呉主は自身の妹君をば皇叔にめとらせんとお考えであります」
「そ、孫権殿の妹!?」
孔明は奥歯を噛み締めて笑いを堪える。
ここでも予想は大当り。
孔明が凄いのではなく、少し考えれば思い付く様な事なのだ。
「し、しかし孫権殿の妹とあれば、私とはあまりに年が釣り合わぬというものでは」
孫権は孔明の一歳年少。
その孫権の妹とあれば、更に若い。
既に五十を数えた劉備には、些か年が離れすぎていると考えるのが自然だった。
しかしそんな事は勿論承知済みとばかりに、使いの男は笑って返す。
「いやいや、皇叔が相手ならばそこらの若い者より遥かに良き相手と心得ております」
「し、しかしなぁ……」
劉備とて、これが孫劉の同盟強化のための政略婚だとは分かっている。
しかしそれにしても、あまりに世代が違いすぎるのではないか。
自分はともかく相手が可哀想であるし、世間の目も気になる。
劉備はちらと傍らの孔明に視線を送る。
どうしたら良い?の意思表示だ。
「良きお話とは思いますが、少し考える時間も頂きたく思います。今日の所は一先ずこれにて。宿を用意させておきました故、そちらでごゆるりとお休みなされませ」
孔明も慣れたもので、予め用意していた台詞を話す。
使いの男も、ならばとにこやかに言われた通りに部屋を出ていく。
それにしてもいつ宿を用意させたのか……良く気が付くこの若者に、劉備も頭が下がる思いである。
「孔明っ!!」
使いの男の姿が見えなくなるや否や、劉備は孔明に飛び付く。
「縁談だとさ!?それも相手は孫権の妹だ」
「ええ、私も聞いていましたから、存じておりますよ」
孔明はやんわりと肩を掴む劉備の手を外す。
「ど、どうしたら良いのだ!?」
「結婚なさるのは劉備様です。臣たる私がどうこういう事ではございませぬ」
「意地悪言いなさんな。お前の意見を聞かせてくれ」
劉備の哀願に、孔明も思わず苦笑する。
「どちらかと言えば、なさる方がよろしいかと思いますよ」
「どちらかと言えば……?それは、軍師としての意見か?」
「仰せの通りでございます。しかし殿を想う臣としましては、お勧め致しかねます」
「なんで!?」
「常識外の年齢差の政略婚が良いとは流石に。そして呉主の妹君と言えば、風変わりな姫君と聞き及んでおりますし……」
「風変わり!?」
「男勝りで、侍女にも武装させていると」
「…………」
劉備の顔がさっと青ざめる。
「そんな姫とは。嫁のやり手が無いってんで、私に押し付けようと言うのではあるまいな」
「……では、劉備様は縁談を受けるお気持ちはあるので?」
「え、うーん……孫劉同盟の為には受け入れるべきとは……」
「流石劉備様。それでこそ我等がご主君」
孔明はにっこり、微笑んでみせる。
優しく微笑んでいるが、それが劉備に有無を言わせない。
「こういう時の為に笑顔を出し惜しみしているんだろう、お前という奴は」
劉備は両手を挙げて、お手上げの姿勢。
孔明はまたも、苦笑した。