劉備の親族……となれば、護衛するのは勿論趙雲の管轄だった。
主家や軍師の安全を守るのが、趙雲の仕事である。
そんな趙雲のもとへ、劉備の元へ嫁入りする花嫁を護衛する命が下るのは、当然と言えば当然であった。
孫権の妹――孫尚香は、供を連れて荊州へと下ってくる。
婚前に劉備と会う事も無い。
双方共に政略婚と承知の上であるため、そんな事はいちいち必要ではなかった。
趙雲には、その道中を護衛せよと言うのである。
武人だけを遣わすのも無骨なため、他にも文官の者が多数連れ添った。
呉にも一時滞在していたという事で、龐統も一緒に来る次第となった。
「ようお出でくださいました、龐統殿。そして趙将軍」
趙雲達一行を出迎えたのは魯粛である。
柔和な雰囲気を醸しつつ、やる時はやる剛毅な所もある男だ。
現在孫権軍の軍事は、この魯粛に任されている。
今回の縁談の件にも、恐らく関わったのだろう。
「こちらこそお久しゅう、魯粛殿」
「龐統もご健勝そうでなにより。妹君は既に用意が出来ておりますとの由」
「ではあちらに馬車を用意させておりますので」
趙雲が言うと、魯粛は慌てて手を振る。
「いやいやそんな、わざわざ用意なされたとは恐縮な……」
「劉備様のお計らいです」
実際は孔明の発案だったのだが、この際は良いだろう。
「私が馬車なんて。嫌よそんな退屈な」
「はい、そうです。妹君は馬車より馬を操るのがお好きで……え?」
「えっ?」
いつのまにか、二人のすぐ傍に娘が一人立っていた。
赤茶の髪に、青い瞳。
周りの者とは明らかに違うその容貌。
体は小さいが良く鍛えられているのか、多少露出部の多い服から伸びる白い手足は、引き締まっていて実に健康的。
外見の特徴を足していけば、他の者とは間違えようがない、一人の人間が浮かび上がる。
「もしや、妹君であらせられますか!?」
そうとしかありえないと思いつつ、信じられない様な気持ちで趙雲は問う。
いまから他家へ嫁入りしようという姫が、こんな軽装で、ろくに飾り立てもせず、家臣の前に現れようとは。
飾り立てていないどころか、尚香の格好は良家の子女とは思えない軽装ぶりである。
「そうよ、私が尚香。貴方は?」
幼さの残る顔に見合う高い声。
ただし口調もまた、深窓の令嬢とは思えない、たおやかさとはかけ離れたものである。
「私は劉玄徳が家臣、趙子竜と申します」
「貴方が趙子竜。聞いた事あるわ。で、趙将軍。私は馬車には乗らない。愛馬に乗っていくから心配いらないから」
「へっ……」
馬車に乗らずに馬に乗る気なのか?
聞き間違えかと思ったが、魯粛が呆れ顔で尚香を止めにかかっている辺り、そうではないようだ。
本気で馬に乗って行く気らしい。
「相変わらずだねぇ、妹君は」
「龐統殿?」
「お姫様扱いされるのが大嫌いなお方なんだ。おまけに頑固。ここは大人しく、やりたい様にやらせてやんな」
「し、しかし……。それでは劉備様に怒られてしまいませんか?」
「殿ならこういう女だって、承知済みさね」
「は、はぁ……」
龐統がこう言うならばと、趙雲も承諾する。
尚香は宣言通り自身の馬を用意させ、ヒラリと跨がった。
尚香の侍女の女達も同様に、用意してあったらしい馬に乗る。
趙雲としては正直馬車を護衛するだけの方がよっぽど楽なのだが、口で言うだけはあり、尚香はかなり乗馬の技術があるようなので、大人しく周りを囲むだけにした。
とは言え馬での移動はほんの僅かで、あとは専ら船を使う。
尚香も船に乗るについては、黙って趙雲の言うことに従った。
流石の尚香も船の中では大人しかったが、趙雲は始終尚香の見える位置にいた。
尚香を守るため……というより、尚香を監視するためといった方が近いかもしれない。
この娘は何をしだすか分からない。
出会って数刻だが、既にそういうイメージが固まっている。
しかし喜ばしい事に、取り立てて何も起きないまま、船は目的地に着いた。