「軍師殿」
「?」
「あ、その……」
「どうしました?」
「……あの、えっと、長沙はどうでした!?」
「……はぁ」
こんな時に何を言っているんだ……。
汗が頬を伝う。
瞳の中の趙雲が、明らかに動揺しているのが見えた。
「長沙にいたのはほんの少しだけで、後はずっと前線近くの陣にいましたので」
「あ、そうですよね。あは、いや、申し訳ない」
「……そうですね。孫権軍の周瑜殿は、それはご立派な方でしたよ。呉主からの信頼も厚く、将兵達からの支持も強い」
周瑜と言えば、呉の大都督だったはずである。
曹操軍との戦にそなえ、水軍の全権を孫権より任されたと話に聞いていた。
「あの人が軍を指揮するならば、きっと曹操軍を撃ち破れましょう。我が軍は朗報を待つだけです」
「……はぁ」
「容姿にも大変優れた方で、あの方がいるだけで軍の雰囲気が華やぐようでした。音楽にも精通されていて……」
「…………」
水軍大都督という事は、諸葛亮を軟禁した張本人ではないのか?
何故そんな男を持ち上げるのだ?
「……将軍」
「え?」
「どうかされました?」
いつのまにか、諸葛亮は心配そうに趙雲の顔を覗き込んでいた。
余程怖い顔をしていたらしい。
また一つ、汗の滴が頬を伝った。
「……なんだか将軍、少し会わないうちに変わられましたね」
「変わった?私が?」
諸葛亮は上目遣いに趙雲を窺いながら、小さく頷いた。
「……か、変わったのは軍師殿の方でしょう!?」
「えっ、私何か変わりました?」
「明らかに痩せてますし、やつれてますし、他軍の将の事をやたら褒めるし……それに、それに……!」
趙雲はたどたどしくもまくし立てるように言った。
予期せぬ事態だったのだろう。
諸葛亮は目を丸くして驚いている。
趙雲自身も、自分で何を言ってるのか良く分からない。
趙雲は額の汗を拭った。
諸葛亮の目から視線を反らすと、諸葛亮の汗ばんだ首筋が目に入った。
「……とにかく、以前と違います……」
「…………」
諸葛亮は何も答えない。
ただ目をパチパチとさせながら、趙雲を見ている。
分かりやすく驚いた顔だ。
――ああ、そんな目で見ないでくれ。
胸の鼓動がうるさい。
「将軍が急に大声出されるなんて、驚きました」
当然だ。
自分でも驚いているのだから。
「将軍、やっぱり変わりました。……いや」
諸葛亮は視線を趙雲から外し、伏し目がちに長江の流れの方へ移した。
「私が勝手に勘違いしていただけかもしれません」
「……勘違い?」
「将軍はもっと冷静な方かと思ってました」
「…………」
そうだ。
冷静な顔して命令を聞いているのは、全てうわべだけの事だ。
諸葛亮の言っている事は正しい。
趙雲自身、そう認めている。
それが趙雲子竜という人間の真実なのだ。
そうだ、そうだろう?
それなのに――。
何故落胆されたような、幻滅されたような、そんな気分になっている?
何故こんなにも傷付いた気分なのだ、私は。
「……声を荒げてしまった事は謝ります」
「謝らなくて結構です」
「いえ、謝らせて下さい。軍師殿に失礼な事を」
「…………」
諸葛亮は訝るような目付きで趙雲を見据えた。
なんだなんだ?
胸がザワザワする。
「私は別に、大きな声を出されたから言っているわけではありません」
「では……」
「……将軍も、やはり私を迎えに来る役なんて嫌なのだろうと思いまして」
「えっ?」
諸葛亮は相変わらず無表情ながら、目がさっと曇ったのを趙雲は見逃さなかった。
「いえ、何でもありません」
「いやいや、ちゃんとおっしゃって下さい!私が気持ち悪いですから」
「…………」
「お願いします」
無表情なその顔からは、諸葛亮の考えは上手く読み取れない。
やはり良く分からない相手だ、と趙雲は思った。
諸葛亮以外の劉備軍の人間だったら、言いたい事があればすぐに言ってしまう。
この様にはぐらかしたりなどしない。
実にまどろっこしい。
どうしてこの人はこうなんだろうか。
なんでこうも、何を思ってるか分かりにくい?
……なんだか体が熱くなってきた。
趙雲がイライラしていると、諸葛亮は小さくため息をついてから、趙雲に向き直った。
「……私の指示で働いて貰う以上、気の向かない命令もあると思います」
「はい」
「我が軍にはどんな命令にでも従ってくれる将が必要です」
「はい」
「将軍は、そういう方だと思ったから……」
「私が?」
諸葛亮は小さく頷いた。
「あ、え、それは……信頼して頂いているのならばありがたく思いますが……」
しかし、今はそう思っていないわけで……。
何を以てそう思われてしまったのだろうか。
声を荒げてしまったからではないと、諸葛亮は言った。
「……私は、軍にとってそういう将でありたいと願っています。是非今後も、そういう任務は私にお任せを」
「…………」
諸葛亮は納得していないようだ。
趙雲は再び、額の汗を拭った。