独り異郷に在って異客と為り
佳節に逢う毎に倍ます親を思う
遥かに知る兄弟高きに登る処
遍く茱萸を挿して一人を少くを
私は見知らぬ異郷の地で知る人もいない。
祝い事の日にはなおさら親兄弟のことが恋しくなる。
重陽の節句の今日、きっと兄弟たちは高台に登って、皆で楽しんでいるだろう。
皆頭に茱萸の枝を刺して、そして、一人足りないという事を思い出してくれるだろうか。
――「九月九日憶山東兄弟」王維
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朝起きると、既に卓には温かい朝食が用意されていた。
一つ一つの量は少ないが、皿数は多い。
朝からこんなに用意する必要無いのでは、と思うほどである。
これ等を全て用意したのは、孔明の妻の黄夫人である。
使用人には作らせず、正真正銘全て彼女の手作りだ。
彼女が朝からこれほど労力を使って朝食を作るのは、夫のために他ならない。
元々食が細い孔明が、少しでも朝から食事を摂れるよう、色々な味を用意するのである。
孔明としても余りに妻の配慮に頭が下がるが、料理自体が彼女の趣味であるから、止めさせようとはしなかった。
「おはようございます孔明様」
「おはよう、今日も美味しそうだ」
孔明の朝は、まず黄夫人と話す所から始まる。
子供もおらず、使用人の数も少ない諸葛邸では、孔明の話し相手は夫人以外にはいなかった。
「孔明様、呉の兄君から便りが届いておりました」
「便り?兄上が……いつだ」
「昨日です。孔明様の帰りが遅かったため、お目覚めになられてからお伝えしようと」
「そう、ありがとう」
孔明は昨日も帰りが遅かった。
日常業務に加えて最近輿入れしてきた孫尚香の面倒もみなければならないため、ここの所ずっとろくに家で寛げない日々が続いている。
家には眠りに帰ってくるみたいなものだ。
当然、夫人との夫婦の交わりも疎遠になった。
孔明は元来そっちの欲に薄い方であるため、特にそれでも問題はなかった。
夫人の方も、求めてくる様な事はしない。
孔明の体質も良く分かっているのだろう。
未だに子が出来ないのはそのせいだと思われたが、今はそれでまぁ良いかと孔明は考えている。
「こちらへ訪ねに来るおつもりか……」
孔明は食事をしながら兄からの書簡に目を通す。
褒められた態度ではないが、今日も早くに出仕しなければならないため、やむを得まい。
「私、お逢いするのは久方ぶりです。おもてなしの支度を致しませんと」
「…………」
夫人は楽しそうだが、孔明は浮かない表情で箸を進める。
兄、諸葛瑾が決して弟夫婦と団欒のために訪ねに来るのではないと分かっていたからである。
こちらへ訪ねて来れば、当然劉備や尚香に挨拶だと言って、宮殿の方へも足を運ぶだろう。
その時こちらの軍や、街の様子を視察するのが、訪問の主題に違いない。
もしかすると尚香に色々とこちらの様子を尋ねようと考えているかもしれない。
孔明は兄の訪問を、少しも嬉しい気持ちで受けとれはしなかった。
「孔明の兄……諸葛瑾だったか。了解、把握しておこう」
孔明は勿論兄の訪問を主君、劉備に報告した。
兄弟の団欒等と、一切考えていない孔明の気持ちの表れである。
「殿の妻君にも、色々と詮索をなさるかもしれません……」
「だな」
劉備の妻君、孫尚香は他でもない呉主孫権の妹である。
当然、呉の者等が情報を引き出そうとするなら、尚香を使うだろう。
「私が何って?」
「あっ、これは」
「尚香……」
孔明が入ってきた扉とは違う、部屋の向こうの扉から、侍女を連れた孫尚香が姿を見せた。
相変わらずの赤い髪、青い瞳は人目を惹いた。
「玄徳様おはよっ」
尚香は無邪気に笑って劉備の座っている座台に腰かけた。
「おはよう尚香さん。今一応孔明とお話し中なんだがなー」
「分かってたから部屋の外で待ってたんだけど、なんか私が話題に上がってるみたいだったから」
外にまで声が聞こえていたらしい。
あまり大きな声で話しているつもりはなかったが、今後は一層気をつけた方が良さそうだ。
「いや、諸葛瑾殿が今度こっちに来るってんでね。もしかしたら尚香さんから何か聞きだそうとするんじゃないかと思って」
「なるほど。私がまだここに来た事嫌がってるーって思ってんのかな。私は玄徳様が不利になる事なんて絶対言わないから!」
最初は輿入れをたいそう嫌がっていた尚香だが、今ではすっかり劉備の妻としての自覚が身に付いている。
劉備も劉備で、妙齢の美しい娘に気があるそぶりを見せられたなら満更でもなかったらしく、今ではすっかり仲良し夫婦だ。
「勿論分かってるよ、尚香さん」
「玄徳様……」
臣下の前でも構わずイチャイチャするのは辟易ものである。