軍師殿と私 喝愛−2


孔明の兄、諸葛瑾は呉の重臣である。
弟に個人的に会うだけならともかく、劉備や尚香に会うとなれば、それは立派な会談だ。
正式な物ではないとはいえ、それに準ずる準備は必要だった。
ただでさえ多忙な孔明に、また一つ仕事が増えた。
ただ最近、元々孔明と知り合いだった馬良やその弟の馬謖が劉備に出仕を決めてくれたため、だいぶ仕事がしやすくなったと思っている。
兄の馬良は孔明も認める秀才だったし、旧知の仲のため、一緒に仕事がしやすかった。
弟の馬謖も兄に比肩する秀才だった。

おっとりした兄に比べると少し性格に険がある様に感じたが、どうも孔明に信奉しているらしく、孔明の言うことは良く聞いたので仕事は捗った。

「子瑜殿かぁ……懐かしいですね」

孔明と旧知の仲である馬良は、勿論諸葛瑾を知っている。
実際に会った事も一、二回あった。

「孔明様の兄君、会えるのが楽しみでございます」

若い馬謖は、素直に諸葛瑾との面会を楽しみにしているようだ。

「あまり亮兄には似ていないですよねぇ」

孔明の事を兄と慕う馬良は、孔明を亮兄と呼んだ。

「そうですか?半分しか血の繋がらない割には、顔は似ていると言われたものですが」

「顔は確かに似てる部類ですが、なんというかなぁ、雰囲気が似ていない気がします」

雰囲気……。
幼い頃からそれは度々言われてきた。
孔明と兄、諸葛瑾では纏う空気が違うのだと。
孔明自身も、なんとなくそれは自覚している。

「せっかくの兄弟の再会だというのに、残念ですね。こんな面倒な事になるんだから」

「……そうですね」

孔明はこの場を二人に任せて、別の場所へ向かった。



「孔明殿ですか、何用ですか」

劉備の自室を警備する趙雲が、驚いた様子で孔明を出迎えた。
そろそろ親衛隊の様な立場から完全に武将へ格上げされても良さそうなものだが、趙雲自身が今の立場を気に入っているらしい。

「近々私の兄、諸葛子瑜がこちらへ来る事になりました。その折りは会談の場を貴方に警護して頂く事になると思いますので、それを伝えておきます」

「いつ頃、どの様な段取りですか?」

「訪問は来週の頭になりそうですが、詳しくは未定です。建前的には兄が弟夫婦を訪ねに来るという事ですので」

「弟夫婦……」

趙雲はああ、という表情で頷いた。
この男は馬鹿ではない。
こうだけ言えば、後は大体の事を勝手に自分で補完してくれる。

「そうでしたね、諸葛瑾殿は孔明殿の兄君であらせられましたね……」

分かりきった事を、趙雲は呟いた。
孔明は目の前の男を、気付かれない程度に観察した。
相変わらず、男がこうなりたいと想う姿そのものだなと思う。
引き締まった筋肉質な身体なのに、スラリとした印象を与える。
実際背も高かった。
孔明も高いが、孔明よりもう少し目線が高い様に思う。
顔の造りも武人には不要だと思われるくらい、整っている。
万人の目を惹きつける美形……というわけではない。
そういう意味では今は亡き周瑜の方がずっと綺麗な顔をしていた。
ただ趙雲は精悍さと柔和さを兼ね備えたような感じで、親しみやすさの意味ではより優れているといえるだろう。
周瑜からはやや優男的な印象を感じたが、趙雲からはそういう物は一切感じない。
そういう意味でも、趙雲は男が憧れる外見だと言えた。
……万人の男がそう思うかは実際は分からない。
少なくとも孔明は、趙雲を見る度にそういう想いが一瞬よぎる。
昔から脆弱な孔明には、趙雲の力強く男らしい体躯には無条件で憧れる。
ひ弱な少年が、逞しい大人の男に憧れを抱くのに似ている。

「嬉しいでしょう、久々にお会いできるのですから」

趙雲はそんな孔明の気持ちなど知る由もなく、その精悍な顔をにっこりと綻ばせて笑いかけるのであった。

「……いえ、別に」

孔明はこの笑顔に弱い。
なんというか、嘘をつくのが憚られるような気がする。
故につい、本音が出てしまう。

「嬉しく……ないのですか?」

趙雲が意外そうに問う。
ああ、ほら――
馬兄弟の時のように、適当に流していれば良かったものを。
後悔してももう遅い。

「……私は、あまり兄に親しみを持ってはいません。一緒に暮らした記憶が、ほとんど無いので」

ここまできたら、話してしまう他あるまい。
ままよ、と思って孔明は続けた。

「徐州で一緒に暮らした頃は幼すぎて記憶がありません。それからは……兄は江南、私は荊州と別れて暮らしていましたから」

だからこそ、此度兄が訪ねに来るなど、何か魂胆があるとしか思えない。
孔明が兄を親しむ気持ちが淡いように、兄の方も孔明を弟として親しむ事はない。
いっそ仲のよい兄弟だったのなら、こんな気持ちで兄を迎えなくて済んだのだろうか。
母の事も同様に、孔明はあまり親しみを抱いていなかった。
孔明にとって家族と呼べるのは、若い頃の苦労を共に分かち合った弟と妹。
それ以外では妻の黄夫人くらいなものだった。

「そうでしたか……失礼」

「いえ、気にしておりませんので」

実際、孔明は自分の身の上を悲観などしていなかった。
これくらいの話、今の世なら掃き捨てる程存在しよう。
決して自分だけが不幸だなどと思いはしない。

「ああ、そうだ。孔明殿。今夜はお暇で?」

「え?特に予定はありませんが……」

「ならば、約束の。お聞かせ願えますか?」

約束の――少し頭を巡らせて、ああと思い出す。
琴か。
そう言えば趙雲に琴を弾いて聞かせると約束していたのだった。
忘れていたのは、孔明がこの約束を社交辞令的なものだと思ったからだ。
こういった約束は、大体がその場に任せた社交辞令に過ぎない。
普通ならそうなのだが、この劉備の軍には社交辞令を言う者は少なかった。
やると決めた予定は、大体の場合約束通りに遂行される。
ここの人達はそういう人達だったという事を、孔明は失念していた。

「ええと、それは構いませんが……」

「それは良かった!ならば場所はどうしましょうか」

本当は、断りたかった。
でも趙雲の笑顔をみると、断りづらい。
先程は嘘を言うのが憚られたのに、今度は言いたい事を言わせてもらえない。
狡い笑顔だ……と孔明は思った。
この笑顔に弱いせいである。

「私の執務室でも良いですか?そこに1台、置いております」

根が詰めた時、孔明は気分転換に琴を爪弾く時がある。
しかしそれは、決して回数は多くはなかった。

「琴をお聞かせ頂けるなら、どこでも」

そう言って趙雲は屈託なく笑う。
何でこんな笑顔でそんな言葉を吐くのだろう。
孔明にとって趙雲は、良く分からない存在だった。



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