軍師殿と私 喝愛−3


当初はむしろ、自分の事を嫌っていたように思う。
ただそれは趙雲に限らず他の武将達と変わらなかったため、それだからどうだという印象は無かった。
趙雲の他の武将達と違う点をあげるとすると、仕事に忠実で聞き分けが良いという所だろうか。
趙雲は他の者達と違い、仕事に不平不満は漏らさなかった。
地味な仕事も進んでやった。
私情と仕事を分けて考えられる男なのだろうと孔明は趙雲を印象付けた。
だから赤壁からの帰還に趙雲を指名したのだが、孔明は趙雲をいささか買いかぶりしていたらしいと気付かされた。
趙雲もやはり劉備軍の武人だったのだ。
孔明は趙雲にというより、自分の認識の甘さに腹が立った。
やはり自分と武人達とではあまりに思想が異なる。
それを今一度肝に命じなければ……と、孔明はグッと拳を強く握った。
趙雲を過信し過ぎていた己の愚かさを呪った。
しかし意外だったのは、それ以降趙雲が以前よりむしろ孔明に歩み寄ろうとする姿勢を見せ始めた事だ。
むしろ嫌われたのだと思ったが、趙雲は孔明に頻繁に接触を取ろうとした。
もしかすると、余りに周りと同調出来ない孔明を不憫に思ったのだろうか。
だとすればなんとも情けない話である。
もっと情けないのは、その趙雲の態度に依ろうとしてしまっている事である。
武人の趙雲と自分とでは根本的に違うんだと一度分からされたにも関わらず、またしても自分は趙雲を頼りにしようとしている。

「失礼します。入ってもよろしいでしょうか?」

扉の向こうから声がする。
まだ沈みきらない太陽に照らし出された大きな影が、扉に映し出されている。
大きくがっしりとした人影……趙雲だろう。
影から判断せずとも、声で分かるのだが。

「幼常、開けてあげて下さい」

「かしこまりました」

部屋に残っていた馬謖に命じて、扉を開けさせた。
扉が開かれると、案の定向こう側には趙雲が立っていた。
いつもと違うのは、鎧を身に付けていない点だろうか。
鎧を付けていないせいか、より逞しい身体の線が分かる。
そんな所に注目している自分が恥ずかしくて、孔明は趙雲から視線を外した。

「お待ちしておりました、将軍」

言ったのは孔明ではなく、馬謖である。
馬謖の存在に、趙雲は驚いた様だった。
二人は初対面ではないはずである。
会話の経験があるかは知らないが、お互い顔くらい知っているだろう。

「えっと、君は馬謖……だったかな?」

「色々手を貸して貰おうと、残ってもらいました」

今度は孔明が答える。
馬謖は嬉しそうに笑ってから趙雲を予め用意してあった円座に導き、自分は孔明の少し後ろに座った。
馬謖は孔明の命なら喜んで答える。
しかも今日は孔明の琴の演奏が聞けるというのだから、文句はあるまい。
本当は、孔明の自宅に招けば馬謖を使う必要も無かった。
家には諸葛家の使用人がいるし、妻の黄夫人も接待に関しては申し分ない働きをしてくれる。
だが、それを選択しなかったのは、なんとなく趙雲を自宅に招きたくなかったからだ。
というより、妻に会わせたくなかった。

「幼常」

「はい、なんでしょう」

「酒を外の井戸に冷やしてあります。取ってきてくれませんか?」

「喜んで!」

馬謖は飛ぶように部屋を出ていく。
そんなに急がなくて良いのに、と思って少し苦笑する。

「酒を冷やしておられるのですか?」

「冷やした方が上手い酒だと聞いたので」

普通はわざわざ酒を冷やす事はしないのだが、そう聞いて孔明はあえてその酒を選んだ。
というのも、今日は少し気温が高かったからだ。

「幼常が戻ってきたら、始めましょう」

「……はい」

趙雲が何か言いたげな表情で、孔明を見た。

「何か?」

「ふふ、いや……」

趙雲は笑う。
あの孔明の苦手な笑顔だ。

「てっきり孔明殿と二人きりかと思っていたので」

「――えっ?」

なんだって?
趙雲はクスクス笑っている。
冗談か、それとも自分が過剰に反応し過ぎているだけだろうか。
ともかく無駄に反応してしまったのが恥ずかしい。

「諸葛瑾殿にも琴をお聞かせして差し上げるのですか?」

趙雲が違う話題を振ってくれたので、助かった。

「いや、本当に私の琴は人にわざわざ聞かせる様な腕ではないので」

「私にはお聞かせ下さるのに?」

「それは……貴方がそう頼むから」

なんか少しいつもより意地が悪いなと思ったが、気のせいかもしれない。

「聞かせて差し上げれば良いのに。下手でも良いんですよ、弟の弾く琴なら兄ならきっと聞きたいものです」

「…………」

つまり、これが言いたかったのか。
兄とあまり親しくないと聞いて、心配してこんな事を言うのだろう。
優しい人だな……と一瞬思って、慌てて打ち消した。
あまり依存するのは良くないと分かっているのに、つくづく意志が弱い。

「孔明様、戻りました」

馬謖が濡れた酒樽を抱えて戻ってきた。

「ありがとう幼常。杯は用意してありますから、注いでくれますか」

「はい、分かりました」

酒樽から、白濁した液体が注がれる。
いかにも冷え冷えとした清洌な輝き。
何から出来た酒かは忘れた。
どうせ孔明はろくに口に運ぶつもりはなかったから、どうでも良かったのだ。
趙雲が何口か酒を口付けたのを確認して、孔明は切り出した。

「曲目は『梁哺吟』で良いですか?」

「勿論」

孔明はぽつりぽつりと、琴を奏で始める。
本当に、大した腕では無いのに……と思う。
ただ手慰みでたまに弾くにしか過ぎない。
酒の席での余興くらいにはなるだろうが、こうしてわざわざ披露する程のものではないのである。
だが実際、趙雲は特に上手くなくても良いのだろう……そんな気がする。
馬謖は馬謖で、聞いているのかいないのか、目を輝かせて孔明の姿を凝視している。

「お上手です」

弾き終わると、趙雲は拍手をくれた。
馬謖も慌てて拍手を送る。
大した演奏ではないので、かえって恥ずかしい。

「もう結構です。拍手を頂ける様なシロモノじゃあ……」

「いや、充分良い演奏でしたよ。……やはり、諸葛瑾殿にも聞かせて差し上げると良い」

「…………」

そんな簡単な事で今更修復する仲でも無いのに……そう分かっていても、そうするのも良いかと思えてしまう。
軍師が思考を停止して誰かの考えに流されるなんて言語道断だ。
それでも流されるままになるのが、何故か心地好い気がして、身を委ねてしまいたくなる。
疲れているのだろうか……と思う。
疲れているから、甘い方へ流れていきたくなるんだろうか。






Back-- Novel Top-- Next