軍師殿と私 居場所-4


それから、関平はしばしば孔明の護衛に立つ事になった。
たまたま孔明と関平が一緒にいる所を、劉備に見られた事がある。
その時劉備は関平に、出来るだけ孔明の傍につくよう、頼まれたのだった。

「子竜は当分俺達につく。その間は頼んだぜ、関平。雲長にも言っておくからさ」

趙雲は主騎だ。
しかも一番優先して守らなければならないのは、主君の劉備だ。
来賓がいる場合は、その護衛にもつく。
趙雲が孔明の護衛につかないのは、当然のなりゆきだと言えよう。
趙雲が護衛につかない事に、孔明は何も不満はなさそうだった。
代わりに関平がついても、嫌な顔はしない。
とりあえず拒まれる事が無かったので、関平は安堵した。
しばらく孔明と一緒に過ごすうちに、関平はだいぶ孔明との距離を縮めた。
なんと言っても、孔明と関平は年が近い。
話しやすいのは、この為でもあったろう。

「孔明殿」

今日も関平は孔明を護衛していた。
とは言え、執務室で仕事をしている孔明を見守るだけの仕事である。
益州攻略を前にして、どことなく空気が緊張しているため、宮城内とは言え油断は出来ないのである。

「なんです?」

孔明は筆を置いて、関平を見た。
そして関平は、その顔をみてやはり、と確信する。
顔色が悪い。
この責任感の強い軍師は、また無理をしているに違いない。

「こちらへ来て下さい。そして横に……」

関平は執務室の出入り口とは違う、奥の扉を示した。
関平は数回孔明の執務室に出入りするうちに、この扉の向こうは仮眠室になっている事を知っていた。

「どうしてそんな事を言うのです」

孔明はほんの少し、険を込めて返した。

「貴方を思うが故です、軍師殿」

「嫌だと言ったら?」

「力付くでも……と言いたい所ですが、そこまでする勇気は私にはありません」

関平の言葉に、孔明は困った様に笑った。
そして、腰をあげる。

「一人にさせて下さい」

関平の言葉に従う気になったらしい。
関平は孔明が一人でゆっくり出来るように、部屋の外へ出た。
外で待っていれば、護衛にはなるだろう。
関平は執務室の扉に背中を預けて、座り込んだ。
護衛というのも暇なものである。
孔明と話が出来るのであれば、まだ楽しくもあるのだが。

「んっ?」

廊下の曲がり角に人影が見える。
こちらを向いて、関平を手招いている。
その人影は、趙雲だった。

「趙雲殿、何用ですか。今軍師殿のお部屋を護衛している所なのですが」

「分かっている。だから来たのだ」

「?」

「代わってやろう」

「代わるって……軍師殿の護衛を?」

「そうだ」

「趙雲殿はご主君の護衛では?」

「今日はもう良いと言われたのだ」

「なればこそ、趙雲殿こそお休みなされ。代わって頂かなくても大丈夫ですから」

関平は事実疲れてなどいなかったし、それに代わりたくなかった。
劉備に孔明を守るよう頼まれたし、孔明も護衛をしてくれるのは関平だと思っているのだ。
仕事を途中で投げ出す事はしたくない。

「強情だな」

趙雲は困った様に笑った。

「すいません」


「もう一度言う。『代われ』」


背筋がつっと、冷たい者が襲う。
代われと言った声だけが、いつもより明らかに数段低かった。
趙雲のこんな声、聞いた事は無い。
――いや、戦の前の興奮している時、たまに趙雲はこの声を出した。
普段人を威圧する性格ではない分、趙雲のその声は関平を畏縮させた。
だが、だからこそ関平もムキになった。

「な、何度言っても同じです……」

恐々趙雲の顔を仰ぎ見ると、趙雲は先程までとなんら変わりなく、困った様な笑顔を浮かべている。,br> いつも通りの趙雲だった。

「仕方ないな、ここは引こう」

ホッとした。
首根を押さえられているような緊張感だった。

「ところで――」

「はいっ?」

「さっき部屋で軍師殿と何を言い合っていた?」

「さっき……?」

何の話だろう。
孔明に休息をとった方が良いと言ったくらいで、特にこれといった会話はしていない気がするが……。

「いや、すまん。変な事を聞いた」

関平が答える前に、趙雲は言った。
もしかして、孔明を心配しているのだろうか。
孔明に苦手意識や、悪感情を持っている者は多い。
自分の代わりに護衛についたのがそんな男だったらと、心配になるのも無理はない。
趙雲は関平が孔明にきつく当たっているのではないかと心配なのだ、きっと。
だからこそ、無理にでも護衛を代わろうとしたのに違いない。
これこそが主騎だ――と、関平は思った。
ただ単に敵から護るだけでない、人間関係にまで気を使う……素晴らしいではないか。
しかし、関平は趙雲の心配するような輩ではない。
関平は趙雲と同じ、むしろ孔明を護ろうという人間である。

「趙雲殿、私は貴方と同じです。貴方と同じ想いです」

「え?」

「私も、負けませんよ」

孔明が早く皆に認められるように。
それまで絶対周りに屈したりしない。
何故ならそれが正しいと思うから。
例え父に言われようと、こればかりは曲げる事は出来ない。

「そうか――」

趙雲は複雑そうに笑った。
趙雲は笑みをたたえている事が多いが、その笑顔から感情を読み取る事は難しい。
今日の笑顔は特にそうだった。

「なら私も負けない、とだけ言っておこうか」

趙雲にしては少し消極的だった。
もっと歯切れの良い返事が来るだろうと思った関平は、少し肩透かしをくらった気分だった。

「では頑張れよ、関平」

趙雲は関平をうやむやした気分を払わないまま、曲がり角に消えた。
どうしたんだろう――関平は首を傾げた。
なんだかいつもの趙雲らしくなかった気がした。



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