薄暗くなり始めた空の下で、その部屋は未だに灯りが灯っていなかった。
無人だろうかと一瞬思ったが、趙雲は構わずその部屋に向かった。
きっと、いる。
不思議な事に、趙雲はそう確信していた。
「――誰ですか?」
果たして、孔明は部屋にいた。
趙雲が戸を叩くと、すぐさま返事の声がある。
城内は静寂に包まれており、その声は良く通った。
城に仕える者の多くは帰り支度を始めているか、もしくは既に帰ってしまっている。
古代の一日は、明るい内に偏っている。
灯りが乏しいからだ。
故に、古代の中国人はまだ薄暗いうちに朝議を始め、陽が暮れる前に仕事を終える。
しかし孔明に限っては、陽が暮れるまで仕事を続けるのが専らの常だった。
孔明の護衛をする機会が多かった趙雲は知っている。
「私です、趙子竜です」
「――子竜殿?どうしたのですか」
開かれた戸の向こうには、孔明が立っていた。
趙雲よりほんの少しだけ、低い目線。
こんなに近くで顔を見合わせるのは久々だった。
ずっとこうしたかったのだと、何故気付かなかったのだと思うくらい、強く胸をついた。
伏し目がちな孔明の睫毛が微かに揺れる。
こんなに睫毛が長かったのだと、今の今まで知らなかった。
「灯りもつけないで……」
思わず口をついたが、油の節約のためにギリギリまで火を灯さないのだと知っていた。
隆中暮らしの生活が抜けないのか、今の立場になっても孔明は驚く程に贅沢を嫌う。
黒い上着を纏った孔明の身体の輪郭が、闇に混じって朧げに見える。
「私に何かご用で?」
孔明は趙雲の話には取り合わなかった。
語気に少し苛立ちを感じる。
それに気付くと趙雲の胸は痛んだ。
「これからまた、貴方の護衛につく事になりましたので……それだけなんですが、一言挨拶でもしようかと」
微かに、孔明の肩が揺れた、気がした。
「そうですか……よろしくお願いします」
身体の反応に反して、言葉は素っ気ないものだった。
以前の……出会ったばかりの頃に戻ったようだ。
少し会っていなかっただけで、こんなに心の距離が離れてしまうものなのだろうか。
それとも、打ち解けたと思っていたのは趙雲の勝手な思い込みだったのか。
それとも心当たりは無いが、怒らせるような事をしてしまったのだろうか。
「……すいません」
自然と漏れた言葉は、謝罪の言葉だった。
「え?」
怪訝な表情で、孔明は趙雲を見返した。
薄く肩に落ちた後れ毛が、風に吹かれて揺らぐのを趙雲は見ていた。
「関平の方が良かったでしょうか。」
「なに?関平殿?」
「もしそうなら今からでも劉備様に申し上げて役目を代わって頂きます」
「なんですか、あの、そんな事は一言も申し上げておりませんが」
「なら、誰でも良い。私が嫌ならば誰にでも――」
「その様な事はっ!」
思いがけない孔明の大声に、言葉の続きは掻き消された。
こんな風に孔明の大声を聞いたのは、呉から戻った、次の朝以来かもしれない。
あの日も趙雲は孔明に詰め寄って、怒らせてしまったのだ。
そしてまた、今日も苛立たせてしまった。
こんなつもりではなかったのに――
孔明を怒らせたいなんて、ほんの少しも、思っていないのに。
「……言ってないと言ってるではないですか……」
「……すいません」
驚く程、声が出なかった。
「……何故、その様な事を言うのです」
「すいません」
「何故と訊いているのです。答えて下さい」
孔明には珍しく、余裕なく詰問する様な声。
趙雲は項垂れていた頭を上げ、孔明の表情を見てハッとした。
どうしてそんな泣き出しそうな顔をしているのだろうか。
それほど酷い事を言ってしまっただろうか……趙雲の胸は鷲掴みにされた様に痛んだ。
本当に、裏目裏目に結果が出る。
「……それは、別に理由があるわけでは」
「理由もなくその様な事を!?貴方はそんな人ではないでしょう」
一応、信頼はされていたのか。
だが、趙雲は孔明の思う様な男ではない。
そう――違うのだ。
自分が道ならぬ想いを孔明に対し抱いているのに気付いてしまった。
しかもそれは周りに勝手に敵愾心を抱いてしまう程に強い。
異常だ。
こんな自分は、孔明の傍に相応しくないのではないか。
傍にいてはいけないのではないか。
そう、自戒の声が頭の中で警鐘を鳴らしている。
しかしその声よりも強く、欲望がそれに勝った。
「…………」
趙雲は答えない。
嫉妬したのだ、などと言えるわけがない。
貴方の傍にいたいと、その一言があまりに重い。
「……貴方は、私の気持ちを考えた事があるのですか」
「……孔明殿」
孔明の気持ち?
考えた……考えたからこそ、真実は言えない。
「……お役御免になるのかと不安だったのかもしれません。関平に仕事を奪われたかなと思ったから」
少し自嘲気味に笑って、趙雲は言った。
嘘ではない。
嘘では無いが、込めた想いはかなり外見を繕った。
だが孔明は、その嘘を納得したらしかった。
「……そんな事。主騎は、貴方でしょう」
呆れたと言わんばかりに、孔明の口からため息が漏れる。
辺りはますます暗く、部屋の端は既に見通しが利かない程になっていた。
暗闇に飲まれる。
「そうでしょうか」
「……少なくとも、皆はそう思っているようです」
皆はそう……か。
喜ぶべきなのか、どうなのか。
今の趙雲には分からなかった。
〔続〕
私は関平が何気に好きです。
何だかんだで古参組だし、関羽の息子って美味しいポジション。
私は基本正史ベースで作品書いてますので、関平は関羽の実子です。
美味しいポジションのわりには、正史の記述がほとんど無いので、設定勝手にいじくりやすい!ww
そして、関平って確か最初から孔明にツンケンしてない…ですよね?
確か横光三国志の博望坡の戦いで、最初から文句言わずに孔明の指示に従ったのは趙雲と関平だけだった気がする。
横光から三国志に入っただけに、私の中で基礎イメージにかなり影響してます…横光三国志w
でも改めて思うと関平視点必要だったか?って思います。
趙雲と孔明メインで三国志書く…と言ってるわりにはこの二人しかあまり出てこないので、なんとか今まで出てきてない人が書きたかったのです。
その結果がただの当て馬とは…。
表現ぼかし過ぎで分かりづらい…?
直接的な表現はどうしても恥ずかしすぎて書けません…