陽光煌煌たり 陽光煌煌たり―4


外から見た際、二つ建物があると思ったその片方が書庫だったのである。
つまり、生活空間と書庫がほとんど同じ規模……いや、もしかすると書庫の方が大きいかもしれない。
趙雲は龐徳公に従い、二つの建物を繋ぐ渡り廊下を経て、書庫へと入った。
渡り廊下からは、向こうに家畜小屋と放し飼いにされている鶏の姿が見えた。
その近くで太皓が洗濯物を干している。
先程渡した趙雲の旅装も綺麗に洗われていた。

「どうぞ将軍。本も自由に触って結構」

龐徳公に拱手で礼を見せ、開かれた扉の中の薄暗い室内へスルリと入り込む。
中は圧倒されるような高い棚が均等に並べられ、どうやらその棚一つ一つに書物が詰まっているらしい。
書は竹簡が多いが、紙や絹、中には石に刻まれた物まである。
当然ながらこれほどの書の山に、かつて趙雲は囲まれた事は無かった。

「凄い量ですね……。良くこれ程までに集められたと思うほどの」

「龐家に代々伝わる物と、後は自分で集めた物ですかな。徐州や司州から逃げてきた者から集めた物が多い。世話をした礼に貰ったり、資金が要るから本と替えてくれと頼まれたり」

「孔明殿は、これ等を全て読まれたのでしょうか」

「さて、私も奴が何を読んでいるのかまでは存じませぬ。しかし粗方目を通したのかもしれませんのう。驚くほど読むのが早いのですよ、孔明は。理解も早いが。しかしあるときから急に訪ねてくる頻度が減ったため、めぼしい物は読みきったのだと思います」

「この量を……想像もつきません」

「孔明は法家の書を好んで良く読んでいたように思います。それは何度か読んでいる所を見ましたからな。ほら、そこに」

龐徳公が少し先の棚の、丁度趙雲の目線辺りにある棚を指差した。
そこの棚を確認すると、『韓非子』と書かれた竹簡が集められた場所であるようだった。
韓非子……趙雲も知っている、法家の韓非が著した書だ。
秦の始皇帝をして「この書の作者に会えるなら死んでも良い」と言わしめた名著。
それくらいの概要ならば趙雲とて知っているのだが、実際に通して読んだ経験はない。

「読んでみても良いですか?」

「ええ、勿論。奥に行くと窓がありますが、そこに椅子と几もあります。庭で読んでも、部屋に戻って読んでも構いませぬが、孔明はいつもそこで読んでおりましたぞ」

サッと趙雲の頬に朱が走る。

「いや、そんなつもりでは」

「孔明は不思議な子ですな。決して社交的なわけではないのに、どこか人を引き付ける魅力がある。勿論、姿形も整ってはいるが、そんな事ではない。だから私もあの子が可愛かったのだと思いますのう」

孔明を「あの子」と呼ぶ龐徳公の目には、昔ここで本を読んでいた孔明の姿が見えているのだろう。
懐かしそうに、何かを慈しむ優しい瞳だった。

「何かあれば、なんでも太皓に言いつけるが良かろう」

龐徳公はそう言い残し、去っていく。
趙雲は韓非子の、壱と書かれた書を取り、奥へと進んだ。
奥には龐徳公の言う通り、窓際に小さな几と椅子が一組、ポツンと置かれている。
薄暗い室内に、柔らかな陽光が指しこみ、ちょうど几と椅子の辺りへと降り注いでいる。
ここで幼い日の孔明は本を読んでいたのか……。
趙雲は椅子に腰を落とし、そっと几を撫でる。
埃一つない。
太皓が毎日掃除をしているのだろう。
柔らかな陽光の下で、一人静かに書を読む痩身の青年。
その光景はきっと厳かで美しいものだっただろうと、確信と共に趙雲は思った。




「旦那様、将軍様をお連れ致しました」
既に外は暗く、龐徳公も馬良も居間の席についていた。
その中へ、趙雲を連れた太皓が入ってくる。
趙雲は手に数巻の書を携えている。

「すいません、待たせてしまいましたか」

申し訳なさそうに一礼し、趙雲は席につく。
趙雲が席についた事を確認すると太皓はすぐに配膳の用意をし始めた。
やはり太皓以外に働く者の姿はない。

「趙将軍、その竹簡は……」

「韓非子、ですかな?」

龐徳公の問いに、趙雲は恥ずかしそうに頷く。

「韓非子?」

「すいません、読みきれなくて、食後に部屋で読もうかと。いや、読もうと思えば読めるのだと思いますが、なにぶん理解しようと思うとなかなか進まず……」

「ふぉふぉ、急がずともよいですぞ将軍殿。なんなら、借りていっても良いのですぞ。返すのはいつでも良い」

「よろしいのですか!?……あ、いやしかし」

「構わぬ構わぬ、ふぉふぉ」

「ではありがたく」

「趙将軍、韓非子を読んでいるのですか?」

馬良の問いの途中で、太皓が配膳を始めた。
洗濯から家畜の世話から食事まで、いつ済ましているのだろうと思うほど働き者だ。

「わぁ、美味しそうだ」

馬良の興味は食事の方へ移ったらしく、趙雲は静かに安堵の息を漏らした。



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