法正はあまり歓楽的な事には疎そうだと思ったわりには手回し良く立派な宴が催された。
酒も料理も品数、質共に急拵えにしてはなかなか悪くない。
役目の終わった法正はあまり端になりすぎずも壁際の位置を賢く陣取って、ちびちびと酒をたしなんでいる様子。
隣にいるのは孟達だろうか。
此度の戦、そもそもの発端は法正と孟達と、殺されてしまった張松が劉備を引き入れようとした事から始まったのだ。
この戦の立役者の割りには、二人してあまり目立つ場所は避けているようにも見える。
孟達を初めてこの時見たが、なかなか整った小綺麗な容姿をしている。
一方の馬謖は諸葛亮の両隣に座っている。
諸葛亮は劉備の席から少し離れた位置に座っている。
此度の戦功の一等は法正であるという遠慮の顕れなのかもしれない。
馬謖はその諸葛亮にに従っただけ……というより、諸葛亮の側を陣取ったに過ぎまい。
諸葛亮の隣で満足そうな顔をしているあたり、宴の準備は率先して馬謖がやったのかもしれないという考えが頭をよぎった。
法正よりは些か馬謖の方がこういう面には強そうな気がして、それもありうるなと思う。
馬超はどうしたかと思えば、諸将の中に混じって酒を呑んでいる。
一緒に酒を、というよりは酔った諸将(主に張飛)に絡まれていると言った方が正しいかもしれない。
しかしこれでも馬超にとっては大した挑戦だし進歩なのではないだろうか。
心底疲れたという顔をしているのは、見なかった事にしておこう。
「よお、子龍!呑んでるか?」
急に肩を掴まれたと思って顔を上げると、顔を真っ赤に染めた劉備が酒壷片手にこちらを見下ろしていた。
劉備は上座に専用の席が用意されているとはいえ、あまり定位置に定まらずに色んな場所に顔だして、皆と触れあっているらしい。
だいぶ息が酒臭く、呂律も回ってない所をみるとかなり酒が回っているようだ。
それでもまだ喋ってない人間を把握しているあたり、大したものだと素直に感心する。
この辺りは劉備の天性のものだろう、と趙雲は思う。
「ええ殿、美味しく頂いております」
「どうした今宵はこの様に一人寂しく。いつものように益徳らと呑まないのか?」
劉備はドサリと勢い良く趙雲の隣に腰を下ろした。
「今宵の主役は馬超殿に譲ろうと思いましたので」
「はは、そういう所は子龍らしいのう」
劉備は持っていた酒壷を傾けて、空いていた趙雲の杯を問答無用に満たした。
もういい加減鼻が慣れてしまったと思った芳醇な香りが、思い出されたように趙雲の鼻孔をくすぐる。
劉備は趙雲が一献飲み干すのをじっと見守ってから、少し声を落としてどこか神妙な様子で「だが……」と漏らした。
「私としてはお前が一人で丁度良かったかもな。どうだ、子龍考えたか?先日私が話した事は」
「あの、えっと」
「言ったであろう先日幕舎で二人きりになった時に!益州に着いたら妻を貰えと」
「いや、まあそれは……」
「子龍、私はお前の家を継ぐ者がおらぬのではあまりにも悲しいと不安なのだ。誰ぞ好いた女でもおるのか?その女に操でもたてておるのか?ん?」
呟く体で始まった劉備の言葉が、言っているうちに熱くなってしまったのか、次第に熱を帯び大きくなっている。
「殿、声が大きい……随分酔われておりますようで」
実際騒がしい宴の中では劉備が多少熱くなった所でさほど響きはしないと思うが、周りに聞かれてこれ以上話が大きくなったら面倒だ。
趙雲はなんとか劉備を黙らせようとするも、酔った劉備はなおも続ける。
「もしそうならせめて養子を取れ。でもなあ私はお前の子が見たいぞ子龍」
「そんなお泣きになられなくても」
「いいや!お前は雲長や益徳と同じく私の義弟みたいなものだ!義弟の子が見たくない義兄などおるまい!」
なんとありがたい言葉であろうか。
ありがたいのだが、気持ちだけで充分である。
困ったな……と思っていると、いつ現れたのか馬岱がそっと劉備の向こうに座っていた。
「劉備殿、何やら張飛将軍が呑み競べをすると申しておりますよ」
ごく自然な態度で馬岱はするりと二人の間に入ってきた。
「ん、なに?呑み競べ?面白そうだのう、私も混ぜよ!」
「はい、お気をつけられませ」
酔っ払った劉備は面白そうな方へ、光に誘われる羽虫が如くふらふらと惹き付けられていった。
馬岱はニコニコとしながら千鳥足の劉備を袖を振って見送る。
あとには馬岱と趙雲だけが残され、気付けば先程まで周りに混在していた人々も騒ぎの中央へ向かってしまって、付近はなんとなくガランとしていた。
「やあ、助かった。それにしても馬岱、君は気配を消すのが得意みたいだな」
馬岱はニコリと微笑んで返した。
あまり飲んではいないのか、酔った様子は見受けられない。
「将軍が酔われているので私に気付かなかっただけでございますよ。しかしまあこの馬岱、従兄上の傍だと良く存在を忘れられます」
「馬将軍は目立つからな、無理もあるまい」
「かく言われる趙将軍もなかなかの男振りでは御座いますまいか」
「なんの、お世辞はよしてくれ。私はそんなたちでは無いし、そういう役目もあまり好きではない」
「……趙将軍は私と気が合いそうです。是非とも仲良くして頂きたいところ」
「ん?そうだろうか。気が合うにこしたことはあるまい。こちらこそよろしく頼む」
「……して、将軍」
馬岱が杯を差し出したので、趙雲も同じように杯を差し出した。
趙雲の杯は先程飲み干して空になっていたので、馬岱が手際よく劉備が置いていった酒壷から酒を注いでくれた。
「耳に入ったのですが今のお話は……」
聞かれていたのか。
恥ずかしいと思ったが、聞かれてしまっては隠しだてした所で仕方がない。
「ああ、先だってな、殿にいい加減に結婚しろと言われてな。しかし困った事に私はまだその必要を感じていなくて……」
「私は、将軍はてっきり諸葛軍師と良い仲なのだと思いましたが」
「! ! ? 」
口につけていた酒を大いに噴き出す。
向かい合う馬岱にも断片が降りかかったらしいが、馬岱は笑顔を崩さないまま懐から手拭いを取り出して顔を拭った。
「す、すまない」
慌てて趙雲も口許を拭う。
幸いな事に喧騒に紛れたのか、周りの注目を引いたという事も無かったようだ。
「いいえ、こちらこそ」
馬岱の歪まない笑顔が妙に気味悪く見えてくる気がした。
「し、しかしどういうつもりだ。その様な事冗談だとしても言うべきではない。私はともかく軍師殿に失礼であろう」
冷静になれ、と必死に趙雲は自分に言い聞かせた。
杯に残った酒を一気に流し込む。
「私の馬鹿な思い違いでございましょうか」
「当たり前だっ!!そもそもどうしてそんな勘違いを――」
と、趙雲は言いかけて気が付いた。
この男はあの夜、馬超と会談を行ったあの夜、我々二人とずっと一緒にいたのだ。
しかしそれでも何か決定的な間違いを犯したわけではないし……、事実趙雲と諸葛亮はそんな関係では、ない。
「……とにかく、純然たる誤解だ、それは。軽々しくその様な事を言うのはよしてくれ」
趙雲は酒壷から自分で酒を注ぎ、そして一気に杯を空にした。
それでも酔いが全て醒めてしまった想いがする。
「不快な想いをさせてしまったようでお詫びします。そうですか……未だその様な関係ではないと」
「その通りだ。……ん?」
「誰にも言いませんよ」と言って、馬岱はニコリと笑う。
趙雲は直感した。
こいつの方が馬超より喰えない奴かもしれない。
「だから違うんだ、誤解なのだよ」
「そうですか、私の誤解ならば謝りましょう」
馬岱は小さく頭を下げた……が、腹の中では何を考えているかわかった。
この男は自分の立ち位置を理解している。
目立たず、それでいてするりと人の間に入り込む。
あまり武将らしいとは言えない性質だが、趙雲はそういう男も嫌いではない。
少なくとも、その男が味方だと分かっている限りは。
「君は……悪い人間ではないようだ」
「将軍に信頼して頂けたなら何よりです。ですが、私は貴方の思うほど出来た人間ではないかもしれませんよ?」
「味方の弱味を握って楽しむ輩ではあるまい」
馬岱の眉が一瞬楽しげに開かれた。
「ええ、それは勿論」
「なら、良い……」
馬岱の黒い瞳がきらりと揺らめいた。
「将軍は良いお方ですね」
「言っておくが、本当に何でもないのだからな」
「はい、わかっておりますよ。軍師殿も将軍も、思いがけなく私の気に入りましたので、純粋に好奇心でうかがったのです。気に入る、とは不躾な言葉でございますが、他に言葉が見つからなくて」
「酒の席の事だとしておこう」
「……私は嬉しいです。もう、心を許せるのは若しかいないと思ってました」
馬岱が微笑む。
若干、いつもの笑みより朗らかに見えた。
馬岱も相当な苦労を経てこの益州までやって来たのだ。
腹を探らずにはいられない……環境がそうさせたのかもしれない。
自分の胸の内にしまっておくという馬岱の言葉を趙雲は信じられると思った。
だから、とやかく言っても仕方のないことだ。
趙雲は再び、杯を口に運んだ。
「お詫びとは言いませんが、協力出来る事があれば何でも致しますよ」
「っ!!」
杯に残っていた酒が全て吹き零れた。
本当に喰えない男らしい。
それだけは良く理解できた。
大変長らくお待たせしたのにアッサリ二人が仲直りして拍子抜けさせてしまったかもしれません…申し訳ない。 私の描いた漫画やらゲームやら見ていると分かるかもしれませんが、私は馬岱が大好きです。