軍師殿と私 新たなる日々-1


 成都の城では、そこかしこに残る戦の臭いを残したまま、朝議が再開されている。 年をまたいだ包囲に、陥落後の将兵たちによる略奪。 劉備は士気向上のために、陥落後の成都王宮の蔵の略奪を許可していたので、宮城は荒れに荒れた。 市政の人間への横暴も最小限に防げたのは良かったが、マトモな政治を再開できるまでに、劉備達は時間を要するしかなかった。

 疲労の上に金欠、新天地でのスタートは順風満帆とは言い難かったが、政治をしなければ定まるものも定まらない。 かくして、古参、荊州からの将官、益州からの新参、全て含めた者たちが一堂に集められた。

「と、いうわけで、論功行賞を行う」

 かつては劉璋が座っていた玉座に座った劉備が言った。 少し距離を置き、劉備を挟む形で左に諸葛亮、右に法正が立っている。 法正はかつて、重臣が立つべきこの場所に立ったことはなかった。 一段高い場所から諸将百官を見渡すこの眺めのなんと壮観な事か。 口角が上がりそうになるのをなんとか噛み締め、法正は劉備の言の続きを待った。

 劉璋麾下の頃、朝議の進行は誰か他のものがやっていたような気がしたが、劉備はあくまで劉備自身が率先して議題を進めることが主だった。 どちらのやり方が普通なのかは、蜀を出たことのない法正には分からない。 劉備が話すのを聞くのは嫌いではない。 よって、やめさせる理由もなかった。

「まず、今回の入蜀において、最も功があったのは法元直だな。これには、皆異論はないだろう」

で、あろう。

と法正は思ったし、そう思えるほど確かに命を懸けて尽力したのだが、終盤馬超だなんだと妙な展開があったので、一抹の不安は拭えなかった。 杞憂であったことにひとまず胸をなでおろし、法正は並みいる諸将百官を見渡した。 発言する者はない。 静まり返った堂内で、さらに劉備が静寂を破るように続けた。

「その元直には、蜀郡太守を任せようと思う。元より蜀の人間であるから、詳しい者に任せた方が良いだろう。合わせて揚武将軍に任ずる」

 広い屋根の下で劉備の声が反響している。 法正は、主だった面々の表情を観察した。

まず張飛。

 並みいる諸将の先頭で屹立している。 どこにいようと決して埋没しまいという異彩は鎧を脱いでも変わらないらしい。 顎の周りにびっしり生え揃った虎髭に、官服の上からでも分かる筋肉隆々とした。 何をするにつけ大仰な男だったが、劉備が話すときだけはいつも静かにしている。

 そのことに法正はひどく感心した。 張飛にではない、そうさせるだけの劉備にだ。 やはり劉備はひとかどの人間だと思い、同時に憧れた。 これこそ英雄の素質だ。 とはいえ、法正は上昇志向は強いが己の立ち位置や力量というものは弁えているので、劉備のように振舞おうという気などさらさらない。 自分には自分に合った仕事があるものなのだ、というのが法正の生き方だ。

 その別人のように押し黙っている張飛だが、法正の処遇を聞いて、いささかつまらなそうな顔をした。 不満というほどではないが、思う所はあるようだ。 政略などとは対極にいるような男だとは思うが、いかんせん主君の劉備の絶大な信頼がある。 何に引っかかっているのかか分からないが、とりあえず関係を改善する努力は急務だろう。 あまり法正の得意な人間ではなさそうだが、必要とあれば仕方がない。

続いて隣に立つ馬超。

 張飛と違って端正な造形をしているが、同じくらいに人目を引いた。 羌族の血が混じるせいなのか、浅黒い肌に光を吸い込む漆黒の髪。 晴天の珍しい成都の人間は比較的日に焼けないので、馬超の健康的な肌色はよく目立つ。 劉備の言葉を聞いても、その整った顔に特に変化は見られなかった。

 そもそも、仏頂面にしている事が多いので表情は探りにくい、と法正は思う。 名家の生まれで名声もあるが、劉備軍としては新参故、どのみち大した影響力はないだろう。 どうにも名家の人間というものが気にくわないので、法正にとっては都合が良い。

 ついでに並び立つ馬岱を見た。 馬超に良く雰囲気が似ているが、背丈は一回り小さい。 馬超と対照的に常に柔和な表情だが、それがかえって法正には読みにくい相手に思われた。

 やはり、今日も薄っすら微笑み、とくに心情の機微は感じられない。 不意に、一瞬視線が交差したような気がしたが、馬岱は特に反応をしなかった。 気のせいだったと決め込み、機会があれば探りを入れておこうと心に留めた。

 少しさがって、黄忠と厳顔。 老将同士気が合ったのか、厳顔が降ってより一緒に居る姿をよく見かける。 老いるとどうも人間は似通ってくるらしい。 一見するとまるで双子のような爺二人だ。

 皺に隠された黄忠の表情に特に変化はないようだが、厳顔は明らかに不快そうに白髭を揺らした。 が、それは法正の予想の範囲内である。 厳顔は元々劉備軍の誘致に反対をしていた為、劉備に降った今でも法正のことを良くは思っていないのだろう。 戦場で死んでくれれば幸いだったが、こうなった以上は言ってもしかたのないことだ。 今更改善の関係は難しいだろうから、せめて衝突を避けることとしよう。 仲の良い黄忠も感化される可能性が高いのが多少問題か。

同じく、魏延と趙雲が立っている。

 魏延は特に何も感じていない風だ。 あまり政治に興味がない男のように感じられたが、法正自身はこの男にはかなり興味がある。 叩き上げの軍人のようで、確かに外見は武骨さが極まっている印象だ。 背は劉備軍古参の中原人に比べれば低いが、それでも法正より頭一つは高い。

 荊州より劉備軍へ加わった為、劉備軍での戦歴は中程度だが、劉備はこの男を気に入っている印象を受ける。 蜀攻めの軍議においても、何度か魏延に意見を求める機会を法正は見てきた。

 逆に諸葛亮とはなんとなくそりがあわない風だ。 現状、何がどうということはなかったが、魏延の提言等にあまり良い感想を抱いてないことはなんとなく肌で感じる。 大体のことにおいて劉備は諸葛亮を信頼し、諸葛亮は劉備の意向を汲んで行動をする。 その良く信頼関係を築いた二人が意見を相違するのは珍しい。 あまりに未知数な存在ではあったが、奇貨居くべしの例もある。 今回の処遇に対しては可もなく不可もなく、というより特に感慨も無いらしいのは、むしろやりやすいと法正は思った。

 一方の趙雲も、法正には少し気になる男ではあった。 横に並ぶ魏延より目線が高い。 無頼な印象の強い劉備軍の面子の中では非常に男前だ、が、馬超のように華美さがないのが逆に不思議だ。 整っているが上に、良く言えば場に溶け込む、悪く言えば埋没するような所がある。 古参将の中では位がかなり低いが、主騎という役柄もあってか劉備とは非常に懇意の関係にあるらしい。 関羽、張飛に継ぐ信頼を得ているといっても差し支えはなさそうだ。 故に、位が低いからと言って捨ておくなんてことは愚か者のすることだ。

 趙雲は劉備の言にやや笑みを浮かべて頷いた。 どちらかと言えば好意的に受け止めたようだ。 これは法正の予想に反し、少し驚いた。 主騎という職務上、趙雲は既存の軍師たる諸葛亮と近しい関係にあったはずだ。 法正が諸葛亮を差し置き第一功に数えられるのは、趙雲にしては面白くないのではないかと予想したがそうではなかったらしい。

 しかしこのことは法正にとっては朗報にほかならなかった。 逆に諸葛亮と仲が悪いらしい魏延は、自分に対して少なくとも悪意を持っていない。 良い傾向だ、と法正は口の端を吊り上げた。

 そして最後に、法正から見て劉備の向かい側に立つ、無駄に丈高い男を盗み見た。

諸葛亮、字を孔明。

 龐統が戦死した今、劉備軍の軍師と言えば奴だ。 つまり、法正にとって最大の競合相手と言えるだろう。 龐統に代わって前線に呼ばれる以前から、諸葛亮のことは劉備からよく聞かされていた。 劉備の言う「若くて綺麗な男」の説明に、正直法正は軍師ではなく情人として置いているのか?と訝りもしたが、実際に会ってみると劉備の表現は確かに的を得ている。

 年は劉備と父子ほど離れているし、法正と比べてもさらに5歳ほど年少だった。 下手な武将どもより背が高いが、その整った顔、色の白さ、痩せぎすな身体の線から、あまり威圧感はなく細面な印象が勝る。 その外見、声、立ち居振る舞い、そしてなによりその発言の内容から清廉という言葉が似合う男だった。 劉備はこの全てを内包して「綺麗」と表現したらしい。

 正直に言って、法正はこの男が苦手だ。 単に政敵足りうるからという話ではない、性質の問題だ。 自慢にもならないが、法正は品行の良い人間ではない自覚がある。 飢饉に見舞われた故郷を捨ててより、時節に恵まれず、何をしてものし上がってやるという野心ばかりを育ててきた。 出世欲だけはない、報復欲求を孕んだその野心こそが法正の原動力なのだ。 このいかにも真面目で、品行方正な男と合わないのは自明の理である。

 法正の見てきた限り、諸葛亮は常人離れした軍才があるというわけではない。 入蜀して劉備軍と合流するまでの諸葛亮の軍の動かし方に、冴えわたる様な用兵というものは特になかった。 かと言って何か落ち度があるわけでもなく、軍の資質を良く理解し、十二分に発揮させる、無駄のない進軍だった。 その印象そのままに、優等生な軍師だと法正は認識した。

 その諸葛亮が法正の想像の遥か上をいったのは、馬超の一件である。 馬超への対処をどうするか全軍決めあぐねていた時に、ちゃっかり独自に馬超と内通し、降伏させてしまった。 それまで単に優等生だと思っていた諸葛亮に、完全に出し抜かれた。 独断専行だと糾弾しようかとも思ったが、法正が逡巡する間もなく劉備は受け入れてしまった。

以来、法正はこの男をただ優等生なだけの男ではなく、自分の想像を超える信頼が劉備と諸葛亮の間にはあるのだと認識を改めるに至った。

「して、次にだが……諸葛孔明を軍師将軍に任じ、合わせて左将軍府事とし、私の政治を支えてもらう」

 劉備の布令に、諸葛亮は恭しく頭を下げた。 軍師将軍に、左将軍府事――どちらも雑号で、明らかに法正の位の方が上だが、後者が少し気になる。 左将軍とは劉備のことで、劉備の発言そのままに、側近として相談役にするという意志だろうか。 法正の戴いた蜀郡太守と違って独自の権限は少ないだろうが……。

 しかし、法正が位の上では上回ったことには間違いない。 このまま順調に劉備の信頼を得ていけば、法正は政治の実権を握れるだろう。 その為に出来ることは何でもやろう、と法正はほんの少しだけ、口の端を吊り上げた。 堂内では、劉備の論功行賞を発する声が続いていた。


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