軍師殿と私 新たなる日々-2


 劉備自室前。
まだ後宮にまで手が回っていないため、劉備は蜀の家臣が使っていただろう部屋に間借りしている。 論功行賞を終え、皆が解散となってしばらく後、趙雲は劉備のもとを訪れていた。 劉備に意見したい者は他にも多かろうと踏んで時間を空けたのだが、やはり先客がいたようだ。

「左将軍閣下は法太守とずっとお話し込んでおられます」

劉備付きの召人に部屋の前で止められる。 扉は締め切られ、部屋の中を窺い知ることはできない。

「法……というと、法正殿か。話し始めてどのくらいになる?」

「朝議を終えられ、そのまま面会に入られまして、ずっとでございます」

「なに、そんなに長くか……」

「はい。趙将軍以外にも幾人か来られましたが、皆さまお帰りになられました」

趙雲なりに時間を置いてみたが、それでもまだ足りなかったらしい。 それにしても朝議を終えて既に四刻半は経っているところを見ると、単に論功行賞の謝辞を述べているというわけではないようだ。 いつ終わるのか、趙雲には皆目見当もつかない。 ここでただ待っているわけにもいかないので、引き返そうと思ったその時、部屋から法正が出てきた。

扉より顔を出した刹那、視線が交差する。 趙雲よりずっと背が低いため、法正が見上げる形になった。 法正のぎょろりとした丸い目が趙雲を捕らえる。

「おや、趙将軍」

「法、太守」

そう言えばもう法正は太守なのだった。 劉備の家臣の中でもとびきり高位だ。

「まだ呼ばれなれませんな」

恐縮そうに言う割には、自負がにじみ出るような表情で法正は笑っている。 それを見ると、今迄の劉備軍にはいなかった人柄だな、と趙雲は思う。 それが嫌だというわけではなかったが、物珍しさがあった。

「お待たせさせてしまったのなら申し訳ない。殿ならご在室です」

「いえ、私は今来たばかりなので」

「さようですか。それはそうと、翊軍将軍へのご就任おめでとうございます」

法正は拱手して頭を下げた。 慌てて趙雲も呼応するかのように頭を下げる。

「私などより、太守殿こそおめでとうございます」

「いやはや身分不相応にて忝い。しかしめでたい事には間違いない。どうです、是非今度祝いの酒でも」

「はあ」

戦地で見る法正はどこかピリピリしているような印象があったため、思わぬ酒の誘いに趙雲は困惑した。 とても張飛のように酒が飲めれば誰とでも、という風にも見えない。 趙雲の困惑に法正も敏感に察したのか、間を改めるように咳払いをした。

「将軍は今迄殿の主騎でいらっしゃったとかで。前任の軍師の方々とも間近に接する機会が多かったでしょう。私も同じように将軍と誼を通じたいのです」

法正はニコリ、というよりニヤリと笑った。 ちらりときな臭さが見え隠れする。 とは言え、同じ主を奉ずる者同士、親睦を深めるに越したことはない。

「そう、ですか。それはこちらとしても是非お願いしたいくらいです」

「その言葉がなにより。近いうちに一席設けましょう。ああそうだ、将軍からも殿に口添え頂けませんか?」

「なんでしょう?」

「殿はもう一国の主と言っても過言ではない。是非良きご伴侶を得られますようにと」

要するに、再婚の要請だ。 法正が長々と何を話していたのかは、十分すぎるくらい分かった。

 劉備は部屋の奥にある長椅子に座っていた。 傍に机を伴った腰掛もあり、その上には飲み物が用意されている。 法正と話すのにはそちらを使ったのだろう。

「おお、子龍か。好きに座れ。悪いが私も楽にさせてもらう」

劉備はどっしりと体重をかけるように座っている。 人と会う姿勢ではないが、劉備と趙雲の仲で今更気にはしないし、むしろその気軽さが趙雲には嬉しい。

「それでは、遠慮なく」

趙雲は一礼して、恐らく法正が座っていただろう席についた。 腰掛は二つある。 一方は劉備が座っていたに違いない。

「すまんな、朝からすっかり疲れてしまった」

確かに、劉備の呟きには疲労の色がにじみ出ている。

「益州入りしてより初の朝議、お疲れになられるのも無理はございません」

「まだ人事についてしか片付いてないけどなあ……。金もないし、大変なのはこれからだよ、色々と」

劉備は、頭巾の上から頭をポリポリと掻いた。

「殿におかれましては……、ご再婚をお考えなのでしょうか?」

背中を預けていた劉備が、一瞬背を上げて趙雲を見た。

「法正に聞いたか?」

「貴方からも良く言ってくれと頼まれました」

大きく一つため息をつくと、劉備は再びドサリと背もたれに体を預けた。

「アイツ凄いガツガツ来るな。私はそういう男は嫌いじゃないけど、今迄のうちの軍にはいない性質だから変な感じがする」

自分と同じようなことを劉備が思っているらしいのに、趙雲は少し笑った。 嫌いじゃないが、まだ戸惑う面もあるということだ。

「まぁ私も曲がりなりにも一国一城の主になったわけだし、今迄のように、のらりくらりとしているわけにもいかないだろうな……」

劉備は虚空を見つめている。 劉備も、趙雲他古参の部下全てが、それを目指してきたに違いないのに、いざなってみると寂寥の想いを禁じ得ないのは何故だろう。

趙雲もなんとなく、窓の外を眺めてみた。 既に陽は登り切り、窓から燦燦と光が注いでいる。 不意に孫尚香と歩いた光の庭の記憶が脳裏によぎった。 柔らかな陽光に赤い髪が透けて煌めく様を、まるで今目の前にある光景のように思い出せた。

「先の奥方は……最後幸せだと笑って呉に帰られていきました」

伝えなければ、と不意に気持ちがこみ上げて、いつのまにか趙雲は呟いていた。 劉備に視線を戻すと、劉備の方もいつの間にか趙雲を見ていて、微かに微笑んでいた。

「そうか」

劉備は少し哀し気に、それでいて包み込むような深さを秘めた声で、続きを促す。 それと同じく深い瞳で趙雲を視る。 元々趙雲などにはおおよそ測りえる事の出来ない器の大きな人間だったが、こんな目をする人だったろうか、とも思った。

「殿によろしく伝えるよう、私にも何度も……」

どう伝えて良いのか、趙雲は探るように言うしかなかった。

「うん、孔明からも聞いた。良い子だな。私には勿体無いくらいの子だった。だから、これで良かったかもしれない」

切ない事を言う。
しかし、二人が生涯寄り添って生きていけると、本気で信じた者は皆無だったろう。 それは、劉備と尚香、本人たちにとっても例外ではなかった。 勿論、趙雲にも。

「一時でもあの子の夫であれた事は、私にとっての誉れだな。だからこそ、私は前に進まないといけない。私を夫にした事が、あの子にとって恥と思われないように」

そんな事あるものか、と趙雲は思ったが、そんなことは劉備だってわかっているのだ。 これは劉備が、自分への発破とするものだ。 劉備は長椅子から背を起こし、背伸びをした。

「よし、法正の言う通り、嫁さん貰うか」

先ほどまでの空気を吹き飛ばすような快活さで、劉備は破顔する。 趙雲の良く知る、劉備らしい表情だ。

「良い嫁さん貰って子どもを作るのも、私にとっちゃ立派な仕事だ。阿斗はいるが、私の子にしちゃ大人し過ぎて心配だからな」

「大人しいという事は、良き教育があれば立派に大成できるという事でしょう」

「ハハ、だと良いが希望的観測過ぎやしないかね。阿斗を可愛がってる子龍には悪いがな」

劉備の言う通り、趙雲は長坂で阿斗を単騎救出して以来、単に主の嫡子というだけではなく阿斗を可愛がっている。 主騎という職務上、良く一緒にいたせいも多分にあるだろう。 その趙雲をしても、決して阿斗は英才の素質があるようにはみえなかった。 だが、この世の英雄たち全てが神童として生まれたわけではない。 正しき者が導いてやれば、名君になれるだろうと思うのは、決して趙雲の希望というだけではないだろう。 良くも悪くも、少し大人しい普通の子という話なのだった。

「私には捨てて逃げた娘も、戦場で亡くした妻もいる。今度こそ誠意ある夫になろう。それは一国の主としての責任でもあると思う」

劉備は不意に立ち上がったかと思うと、趙雲と机を挟んで向かいにある椅子に座りなおした。 二人の距離が縮まる。

「だから、私はもうお前に無理に嫁を貰えとは言わんよ」

「へっ!?」

突然話が自分に及んだことに驚き、趙雲は背筋を伸ばした。 その趙雲を見て、劉備はささやかに笑う。

「お前は私の軍の中でも随分と誠実な男だし、私はそういうお前を気に入っている」

「それは、なんとも過分なお言葉ですが……」

「再三言っても嫁をとらんのは、何か事情があるんだろう。以前はなんとなく意欲が無いから結婚しないという感じだったから、私も随分と口を酸っぱくして言ったが、最近は違うな」

「…………」

その問いかけに、趙雲は答えることはできない。 しかし劉備は趙雲の無言を気にした様子はなかった。

「想う相手がいるならそれを貰えば良いとは思うんだが……、まあ、そこに立ち入るのは無粋が過ぎるってもんだ」

「劉備殿……」

「私はお前を不実な男にしたくないんだ。せめてお前は、心の欲する所に従うと良い。だが後継ぎがいないってのも寂しいから、養子は貰えよ。私も良いツテを探してみよう」

臣下として、ありあまる温情を受けていると思う。 趙雲は、なんと言って返せば良いか、分からなかった。

「……ありがとうございます」

「ん、いいってことだ。それより、お前の話をしよう」

> 「?」

「法正に頼まれてここに来たってわけじゃあるまい?」

「ああ……」

すっかり忘れていた。 趙雲は論功行賞の件で、劉備と話をしに来たのであった。

「翊軍将軍に任じて頂き、ありがとうございます」

「お礼言われるほどの役職じゃないだろう。遅すぎたくらいだし、あまり言ってくれるな」

「兵の移譲はいかがすれば。将軍職となれば、兵士の数も揃えなければならぬと思うのですが、いかんせん不慣れで」

趙雲は今でも直属の兵士を所有してはいるが、任務の主が護衛であったため、一部隊とするには少ない。 前線に参加する場合は、その都度遊軍として置かれている兵を組み込んでいたが、今後もそうするわけにはいかないだろう。

「益徳と孔明にでも相談して、一部融通して貰うと良い。足りない分は、益州兵から動かそう」

「私としては、今迄の直轄兵以外は、全て益州兵で良いと思っているのですが」

劉備が片眉を上げた。

「荊州からの兵士は要らないか?全て新兵となると調練が面倒だぞ」

「私自身大がかりな隊を率するのは初めてですし、兵も初めてくらいで丁度良いのではないかと思っています」

「ふ~ん、まぁ、お前が良いなら良いが。では兵をどこから出すかは私の方から法正や孔明と話して決めよう」

劉備はなんとなく納得していないようだったが、新兵の調練を率先してやるというならありがたいにこしたことはないと、折れた。

> 「ありがとうございます。……して、主騎としての仕事は」

「軍としての規模も大きくなったことだし、新たに親衛隊と近衛兵を作ろうと思っている。法正や孔明とも関わるだろうから、両者と話し合って決めようと思っているぞ」

「それでは私は完全にお役御免ということですか」

そう趙雲が言うと、劉備は面食らったように目を見開いた。

「おいおい嫌な言い方をするなぁ、お前らしくもない。将軍として昇格した自覚はあるか?一応栄転だと思うんだが……、それともそんなに主騎の仕事が好きかね」

「正直に言うと、攻めより守りの方が得意だなとは最近自覚してきております」

もののふとしてどうなのか、とは思わないでもないが。

「うちには守りを忘れた益徳のようなのもいるから、そういうのも良いんじゃないか。孔明なんかもその手だな、お前と同じだ」

「そうでしょうか?」

「別に孔明が軍師として劣ってると思ったことはないが、龐統や法正っていう別の軍師を見ると、そう感じるな。孔明はあまりガンガン攻める手を好まない感じはする。一発逆転より負けない戦が得意な奴だ」

趙雲は自らは軍師の優劣や種別を図る事はしてこなかったし、しようとしなかった為、そういうものなのかと思った。 戦争より政治の方が好きなのか、くらいは察しているが、攻め方がどうこうというのはあまり気にしてこなかった。 劉備はやはり人を見る目は、他に比べて卓越していると感じる。 そしてこれからは将軍になる以上、もっと作戦の意図を自分なりに考えてみようと決めた。

「まぁ、それはいいとして……」

劉備は一度座りなおして、続ける。

「軍の規模が大きくなると、私の目の届かない場所も増える。そういう場所はやはり信頼の置ける者に任せたい」

趙雲の左肩に、柔らかく劉備の手が置かれる。

「お前が主騎の仕事を好きと言ってくれるのは有難いんだが、将としてもお前の力が必要なんだ」

じんわりと、肩に劉備の体温を感じる。 家臣冥利に尽きる、とはこのことかもしれない。

「……不躾な事を申し上げました」

「いや、実際嬉しかったよ私は。今後もそういう機会があればお前に頼もう」

「御意に」

趙雲は拱手をして立ち上がった。

「兵の準備が出来るまでは、孔明のお守りでもしてな」

「え?」

「主騎の仕事したいんだろ?」

「そうですが、え…?」

「実を言うと、最近困りごとがあるそうだから、面倒みてやって欲しいのよ」

「そうなんですか……、分かりました」

困りごととはなんだろう。尋ねるべきかと思ったが、劉備の表情はそれを望んでいないような気がした。 深く礼をして、趙雲は静かに退室した。

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