軍師殿と私 夢で逢いましょう−2


「孔明や、予め指示していた奴等は皆出てったよ」

こちらもやっと酔いが冷めてきた頃だというような劉備が、薄い笑みを浮かべて諸葛亮に言った。
陣の至る場所に設置された松明の炎によって、劉備の顔がゆらゆらと照らし出されている。

「その冷静さには頭が下がるね。お陰で今は私達の方が孟徳さんを追う側なんだもの」

「私の力など、何の功績にもなっておりません」

「じゃあ誰のお陰だっての?」

「江上にて曹軍を撃ち破った孫呉の軍。そして、殿の御徳の賜物にございます」

「おまけにヨイショが巧いと見える。ハハハ、全く大した軍師さんだ」

諸葛亮はいえ、と頭を下げた。
劉備の方も笑い声こそたててはいるが、目はあまり笑っていない。
他愛ない会話をしながらも、意識は前線にある様だ。
会話の端々で、視線が目の前に立つ諸葛亮から闇夜の方へと移る。
諸葛亮を冷静冷静といいながらも、劉備の方も芯の方では驚く程に冷静である。
冷めている、と言っても良いかもしれない。
劉備自身も気付いているか分からないこのもう一人の劉備が、いつも危ない橋を渡りながらなんとか彼の道を繋いできた。
趙雲はそんな内面の詳しい事まで分かってはいないが、劉備が時にそういう目をしている事を知っている。
何か思案をしていらっしゃるのだろう、などと解釈している。

「んで、私達は何をすれば良い?」

劉備が自身と、趙雲を交互に指差しながら諸葛亮に問い掛けた。

「殿はこのまま本陣で待機を。まだこの先何が起こるか予期出来ませぬ故、本陣にて有事に備えて下さりませ」

「了解。んで、子竜は?」

今度は趙雲だけを指差した。
諸葛亮の視線が、趙雲へと移る。
趙雲は思わず緊張した。
船を降りてからでは、なんだかんだとバタバタして、諸葛亮と目を合わせるのはこれが初めてだった。
松明の炎に合わせて、諸葛亮の瞳は時折揺れるように照らし出された。

「将軍は、殿の護衛を」

短くそう言って、諸葛亮は再び視線を劉備に戻した。
諸葛亮の応えがそっけないのは、今に始まった事ではない。
いつもの事だ……そう分かっているのに、なんだか冷たくされた様な気がして、趙雲は哀しくなった。

――船上でのこと、怒っておられるのだろうか。

と、思うのも良く考えれば馬鹿馬鹿しい事だ。
別に諸葛亮は怒っていたわけではないのだから。
ではアレはなんだったのだろう、と思案して、最もピッタリくるのが

――幻滅

考えなければ良かった……。
趙雲は余計気分が落ち込んだ。


「殿は今のうちにお休みになられませ」

「うん、そうしようかな。孔明はどうする?」

「私は自分の幕舎にて前線からの報告を待っています。いつどんな火急の報せがあるか分かりませぬ故」

諸葛亮は視線を伏せて軽く頭を下げた。
そのまま退がろうとするのを、劉備が制止した。

「待ちなよ孔明さん」

「……はぁ」

「アンタ呉から帰ってきてまだロクに休んじゃいないだろう。やっぱり私が起きておくから、アンタこそ休みなよ」

諸葛亮のやつれっぷりには劉備にも目が余るものがあったらしい。
正直な所、今の諸葛亮は見るにも痛々しい痩せかたをしている。
言われた方の諸葛亮は、劉備の申し出が意外だったのか、目をパチパチさせている。

「アンタ優秀だが、ちと自分の力を過信し過ぎるきらいがあるな。人間、休み無しじゃそうは保たないさ」

「いえしかし、主をおいて臣下が先に休むなど……」

「主だとか、臣下だとか、そんな固っ苦しいのは無しだよ」

劉備がポンポンと、諸葛亮の肩を叩いた。
諸葛亮はどうしたら良いものかと、眉をしかめて困った顔をしている。

「じゃあこうしよう。命令だ、孔明。お前は今のうちに休息を摂れ」

「殿……」

「軍師に倒れられちゃあ、軍全体が迷惑を被るからな」

ここまで言われては、諸葛亮も返す言葉がない。

「承知致しました」

諸葛亮は高く拱手を掲げ、頭を深々と下げた。

「子竜」

次に劉備は趙雲の方に向き直った。

「は、はいっ」

「孔明の幕舎を警護してやんな」

その言葉に、頭を下げていた孔明が小さく反応した。

「……殿」

「うん?どうした孔明」

「私は大丈夫です故、ご心配なさらず」

キッパリ言い切った。
今度は気のせいなどではない。
確かに、冷たく言い放った。

「あ、うん……そうか?」

劉備も孔明の言葉に、少々驚いている。

「では、暫し失礼致します……お二人とも」

今度こそ諸葛亮は、頭を下げて去って行く。
黒衣の上着を纏っているためか、その姿はあっという間に闇の中に溶けて見えなくなった。


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