一歩一歩 一歩一歩−2


陳羣は郭嘉が苦手だ……というより、嫌いだ。
出来れば顔も合わせたくないし、同じ空気も吸いたくない。
それくらい、陳羣は郭嘉の事が気に入らなかった。
いつも服装はだらしなく、髪もゆるく結い上げているだけ。
喋り方もなんとなく語尾がゆるく、そして誰に対しても馴れ馴れしい。
さして仲の良くない陳羣には勿論だが、上司である筈の曹操にもそうなのだから、陳羣は開いた口が塞がらない。
曹操自身あまり型に填まるのを好まない人間だから、特に郭嘉を注意する事はしない。
しかし曹操以外の人間だったら、とうに首と胴がお別れしていてもおかしくはないだろう。
まあ郭嘉が死のうが生きようが、陳羣には興味は無い。
有能な軍師が一人いなくなるのは残念だというだけで、郭嘉という人格はどうなっても構わない。
――そう、実に気に入らないし俄には信じがたいが、郭嘉は軍師という点では実に優れていた。
従軍する機会はほとんどなく、戦時でも国本で政治を担う、ある意味純粋な政務官である陳羣は、戦場での郭嘉の姿は知らない。
人伝には冴え渡るような軍才で曹操を支える、切れ者の軍師だという。
軍事の事が良く分からない陳羣は、具体的にどう凄いのか想像がつかない。
しかし皆が口を揃えて褒めるのだから、間違いなく有能なのだろう。
事実である以上は、陳羣も認めざるを得ない。
そこがまた、陳羣の郭嘉の気に入らない理由の一つである。
何故あんな不真面目な人間に、そんな恵まれた才が備わるのか。
陳羣は納得がいかない。


また戦が始まるらしい。
城全体に、なんとなくそわそわした空気が蔓延っている。
従軍しない陳羣にとっては、戦はたんなる頭を悩ませる頭痛の種にしか過ぎない。
戦費の調達、兵糧の準備、輜重の運搬……。
頭を悩ませる事は、それこそ山のようにある。
文官一同手分けして取り組むも、その山は簡単に縮んではいかない。
陳羣も勿論休み返上で働く。
仕事は楽だとは言えないが、陳羣は今の職場が嫌いではない。
忙しいのも、逆をいえば充実しているという事だ。
しかも今は、この軍の重要な時だという事は陳羣も理解している。
河北の名門袁家と曹操軍との対立は、次第に溝が深まる一方。
決して楽とは言えぬ戦いになるだろうが、やるしかない。
戦場に立てぬ陳羣は、後方支援で役に立つしかないのだ。


「――えっ。次の戦の相手は袁紹ではないのですか!?」

陳羣の言葉に、荀イクは何を今更……という顔をした。

「袁紹との戦はまだだ。これから攻めるのは劉備殿だ」

「劉備殿……ですか」

以前劉備とは浅からぬ関係にあった陳羣は、どうしても劉備を呼び捨てには出来ない。
散々曹操の世話になりながら、あっさり裏切って下ヒに独立した劉備を、曹操軍では悪し様に言う人間は多い。
陳羣もそういう人間の前ではあまり劉備をたてないように気を遣うが、荀イクの前では特に気にしない。
かく言う荀イクも劉備の事は「劉備殿」と呼ぶ。
荀イクは劉備の事が嫌いではないないらしい。

「何故今劉備殿を叩かなければならないのですか?劉備殿なぞ、捨て置いても良いのでは……」

「いや、袁家と戦うために必要な戦なのだ」

「袁家と戦うために?」

「我が軍と対立した今、劉備殿は袁家につくだろう。河北と下ヒ。我等は挟まれる形になる」

「だから先に心配の芽を潰しておくのですか」

「そういうわけだ」

なるほど……と陳羣は思った。
とはいえ、例え相手が変わろうと陳羣の仕事は変わらない。
仕事に戻るべく、陳羣は荀イクの部屋から退出した。
再び、書類の累積する仕事場へと急ぐ。

「ああ、長文じゃないか。ちょうど良い所に」

陳羣のこめかみがかすかにひきつった。
何故こんな所に……という想いが、瞬時に陳羣の頭の中を駆け巡る。
声は遠い。
まだ聞こえなかった事に出来る。
陳羣は構わず前を歩いた。

「待てよ、長文」

もう一度言われて、陳羣は足を止めた。
あくまで聞こえていないふりをする事も出来た。
それをしなかったのは、郭嘉の声に、普段は感じない真剣みを薄らと感じ取ったためである。
陳羣はゆっくりと、郭嘉の方へ視線を向けた。



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