軍師殿と私 繰り返し見る夢-3


「砂埃が立ってるな」

背後から聞こえる声に冷や汗をかきながら、出来るだけ足音を立てない様に走る。
近くなった男の声は、聞いた瞬間下品た印象を受けた。
徐州の都では聞いた事のない、荒くれた感じの低い声。
当然、これで貴族の主人なんて事はありえない。
ますます心が沈む。
絶対見付かりたくない。
その時、向かいに戸が開け放たれた粗末な小屋の入り口が目に入った。
どうせ住人はいないのだから、勝手に入ってなにが悪い事があろうかと、やっと気が付いた。
既に疲れきった脚をなんとか動かして、その戸口へとひた走る。
この中に入ってやりすごそう。
一先ずはそうするしかなさそうだ。

「いたぞ!」

背後から声が響く。
見付かった。
視界が一瞬真っ白になる。
もう隠れる事は叶わない。
無意識に振り返った。
丁度路地の角の地点から、男が三人こちらを見ている。
そのうちの一人が、こちらをまっすぐ指差している。
男達は案の定、粗末な装いとせれに不釣り合いな大きな剣を腰に刺している。
どうみても素行の悪い荒くれものだ。
血の気が引くなんとものでは、最早無かった。
全身から力が抜けた。
腰から頼りなく崩れ落ちた。
逃げなければと思う気持ちと、逃げても所詮無駄だという諦めが頭を駆け巡る。
頭だけはグルグルと慌ただしく動いているが、体は動かない。
力が入らない。
体が小刻みに震えている事に気が付いた。
自分でも嫌悪したくなるほど自分は臆病だった。

「オイ、小僧。お前一人か?」

男達が近付いてくる。
皆それなりに引き締まった体をしている。
だが体よりもその瞳に目がいった。
ギラギラとした、獣の様な目。
今まで出会った事の無い人種だった。

「何を持ってる」

「あ……ぅ……」

喉が震える。
掠れた息ばかりで、声にならない。
ただし自分が何を言おうとしていたのかも分からない。

「逃げ遅れたガキか。それを寄越せ」

へたりこんだ時に同時に地に落ちた革袋が、男の一人によって奪われた。
しかし、中身が水だと分かるとつまらなそうに投げ棄てた。

「水を探しに来てたのか」

「見た所良い身形をしてやがる。戦の前は良い暮らしをしていたお坊っちゃんだったんだろうな」

男達は腰を下ろして、ニヤニヤしながらこちらを取り囲んだ。
男達に囲まれ、ムッとするような汗の臭いと生臭さが鼻をつく。
完全に囲まれた……もう逃げられない。
いや、囲みを運良く抜け出せた所で、この体格差ではあっという間に捕まるだろう。
見付かった時点で望みは断たれていたのだ。

「けっ、めぼしいモンは全部持っていかれちまってらぁ」

囲みを離れ、辺りの民家の中をのぞいていた男が言った。
やはり男達は盗賊……この場合は火事場泥棒といったかもしれない。
戦の騒乱につけこんで、上手い汁にありつこうという連中らしかった。
しかし幸か不幸か、こちらは水以外は何も所持していない。
何も奪われる物は無い。
だったらすぐに解放してくれるだろう……そう思った。

「女もいないか」

こちらの正面に立つ男が言った。

「女どころか、人っ子一人いやしねぇ」

「あーあー、女を抱きてぇなぁ」

正面の男がぼやき、もう一人の男も頷いた。
離れていた男も戻ってきて、二人に相槌を返している。

「……待てよ」

正面の男の目がキラリと光り、一拍遅れてニヤリと口角をあげた。
男と目が合い、背筋にゾッと、うら寒いものが走る。

「この際この小僧で良いか。良く見りゃあ線も細いし、綺麗な顔してる」

男はニヤニヤしながら愉快そうに言った。
男の言わんとしている事が分かり、目の前が暗くなるような衝撃を覚えた。
何も奪われずに解放されるなどという考えは虫が良すぎた。
まだ奪われる物を持っていた。

「俺男は抱いた事ないぜ?」

周りの男も口では驚いているような事を言うが、顔は同じ様にニヤニヤと笑っている。
男達の嫌らしい表情に、悪寒が止まらない。

「貴族の坊っちゃんだったんだろうなぁ。年が経てば偉そうに俺達に命令する様な身分になる筈だったんだろう」

男の一人が、乱暴にこちらの腕を掴んだ。
男達の目は好奇と欲情と、憎悪に染まってギラついていた。

「や……やめ……」

必死の抵抗を試みるも、体は震え、声すらも出せない。

「うるせえっ!」

思いっきり頬を叩かれた。
衝撃で飛ばされ、地面に叩きつけられる。
砂埃が巻い、息苦しさと痛みで涙が出た。

「こんな良い身形の小僧を犯せるなんて機会そうそうねえ」

舌なめずりでもしだしそうな様子で、倒れ込んでいるこちらに男が覆い被さってくる。
周りの男も、同じ様な表情でこちらを取り囲んだ。
信じられない。
どうしてこんな事になったんだ。
戦のせいだ、曹操のせいだ……怨みの言葉ばかりが頭を駆け巡る。
男の腕が、乱暴に襟を掴む。



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