私は宮中へ出仕する歳になっていた。
毎日父に従い、父の手伝いをする。
覚える事は多いが、やりがいはある。
早く父の手伝いではなく、自分自身の仕事がしてみたい。
出来れば軍を動かしてみたい。
自信は、ある。
他国との戦で活躍出来るハズだ。
赤壁で乱世の姦雄曹操を退けた周都督。
麦城で軍神関羽を捕縛した呂都督の様に、私も大敵相手に矛を振るってみたい。
勿論、偉大なる叔父上…諸葛孔明も私の目標の一人だ。
政治を一手に担い、軍権を所持する。
父上も偉大には思っているが、叔父上はそれ以上に尊敬している。
そんな叔父上が呉の我が家を訪れたのは、春も暮れ、そろそろ風が暑くなる頃だった。
「恪、叔父上に挨拶なさい」
「えっ…?」
「久しぶりですね、元遜。元気にしてましたか?」
朝起きて居間に行くと、そこに叔父上がいた。
政務で忙しいハズの叔父上が何故我が家にいるのか分からなかったが、とりあえず言われるままに丁重に挨拶をする。
「お久しぶりでございます、叔父上。私はつつがなくやっております。叔父上こそお元気でしたでしょうか?」
「そう……ですね。病とはここ暫く無縁です。ありがたい事に」
少し言いよどんだのは、体が強くない叔父上は病にかからないにしても決して好調ではない……という意味なのか。
それとも、ここ数年のゴタゴタで精神的に疲弊しているという意味なのか。
叔父上の仕える蜀は、我が呉とつい先年戦をしたばかりである。
それは蜀の皇帝、劉備の独断による侵攻であったらしい。
丞相の叔父上は反対するも劉備は聞き入れずに呉領内に侵攻し、そして陸将軍率いる我が軍に大敗を喫した。
負け戦ですっかり意気消沈したのか、劉備はそのまま呆気なく世を去る。
戦後処理や、新皇帝擁立などは全て丞相たる叔父上がこなしたらしい。
親呉派の叔父上が蜀漢の全権を担う立場になった為か、一時は断絶した呉と蜀の国交は復活し、今では叔父上の様に、蜀の人間も呉の領内に入れる様になった。
劉備が死んでからまだ日も浅い。
叔父上の尽力ぶりはまさに筆舌尽くしがたい程だろう。
しかしその分、叔父上は随分と疲労が溜まっておられるはず。
そう言えば今日も顔色があまり良くないようだ。
普段の具合を知らないから一概には言えないけれど。
「して、叔父上……。今日は一体どの様な用件で?」
「ああ、それは……」
「うむ、喬をな、養子にやる事になったのだ」
「え……」
喬を 養子?
それは、どういう、意味だ。
喬。
養子。
頭が上手く回らない。
単語が結び付かない。
「養子?……誰が、誰に……」
「だから喬を」
「孔明、……叔父上に」
「え……」
まさか喬が……。
「何故、急に……」
「私はこの年になっても子がいないでしょう?それを話したら、兄上……あなたの父上が弟の方を養子にくれると言ってくれたのです」
「我が家には恪、お前がいるからな」
「そんな……私は……」
頭がクラクラした。
喬が養子?
勿論そうなったら喬は蜀に行くだろう。
呉の、我が家からは姿を消す。
私達家族からいなくなる。
喬が養子……。
「喬はこの事は……」
「まだ知らない。そう急ぐわけではないからな」
「そう、ですか……」
ふらふらと立ち上がって部屋を後にした。
何か夢を見ているような感覚。
行き先を定まらぬまま、家を出てさまよい歩いた。
「兄上?」
ウロウロしている時に、突然声をかけられた。
声がした方を無意識に向くと、そこにいたのは喬だった。
愛馬の飛飛に跨ってこちらを見ている。
どうやら早起きして、ゆっくりと朝の散歩と洒落込んでいたようだ。
そんな喬だが、私のおかしな様子を見て、少々面食らったらしい。
怪訝そうな表情をしたまま、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
「…………」
「兄上、どうされたのです?顔色が……」
「私の事は放っておいくれ。喬、お前は……父上の所に行って来い」
「父上の所に……何故?」
「いいからさっさと行って来い!!」
「あ、兄上?……どうしたのですか。さっきから様子がおかしいですが」
「私に構うな。いいから早く……行って来い」
「…………」
「頼むから……」
「……分かりました。飛飛はここに置いておきますので、頼みます」
喬は飛飛から降りて、そのまま私の側に残して家の方に向かった。
飛飛は良くしつけられた驢馬で、そのまま放置されていても勝手にどこかへ行ったりはしない。
飼い主のいう事をよく聴く、賢い驢馬なのだ。
だから、どこへも行かない――ずっとここにいる、文句一つ言わずに。
静かにその場で草をはむはむと食べている。
「……お前も災難だな。私と2人きりなんて」
一気に疲れが来た私は、そのままドサッと飛飛の隣に座り込んだ。
飛飛は私になぞ意も介さず、変わらずに草を食べ続けている。
「兄上」
どれほど時間が経ったのか、気が付くと喬が戻って来ていた。
飛飛はどうしたかと思って辺りを見渡すと、すぐ私の後ろで膝を折って眠っていた。
「……良く眠っているみたいですね。兄上の隣が落ち着くんでしょうか」
「……まさか」
「ほら、飛飛……小屋へ戻るよ」
喬が優しく飛飛の背を撫でると、飛飛は目を覚まして眩しそうに目を瞬いた。
「飛飛を小屋に戻しに行きましょう。兄上も一緒に来て下さい」
「……どうして」
「兄上に、飛飛の小屋の戻し方を知ってもらいたいから」
「…………」
「それだけじゃない、色々飛飛の世話について、兄上に教えなきゃいけない」
「喬」
「私が蜀に行ったら、兄上に世話をしてもらわないと」
「喬!」
「頼むよ、兄上……」
「お前……」
「父上が決めた事ですから」
「……良いのか?」
「良いも悪いも、呉の諸葛家は兄上がいるんだもの。私が蜀の諸葛家に行くしかないんです」
「そうか」
「はい」
「……飛飛は連れて行け。お前と一緒の方が、飛飛は幸せだろう」
「いや、飛飛は残して行きます」
「何故?」
「生まれ故郷で暮らした方が幸せだから」
「…………」
「ほら、行こう飛飛」
喬に言われると、飛飛は嬉しそうに立ち上がった。
私も、喬と飛飛の後にしたがった。
「兄上、飛飛は寂しがり屋だから、よく遊んでやって下さい」
「……」
「頭はあまり良くないかもしれないけど、兄上が言えば言う事は聞きますから」
「……しかし飛飛は、私の事は嫌いだろう」
「そんな事はありませんよ」
「そうかな、私が冷たい男だと、動物には良く分かるのだろう」
「兄上は、自分の事が冷たいと思うのですか?」
「お前が昔言ったのだろう。冷たいと」
「そうでしたか?」
「そうだ。調子の良い奴だ」
「……実際、兄上は冷たいと思う」
「……そうか。まぁ、事実だしな」
「だけど、だからといって飛飛が兄上の事嫌いとは限りませんよ」
「何故そう言える」
「私には分かるんです。……飛飛は私に似てるから」
「…………」
「あと、それと兄上」
「……まだあるのか?」
「飛飛を、私と思って大切にして下さい」
「……。分かった、大切にする」
「ありがとう、兄上」
飛飛が、小さくヒヒンと嘶いた。