相変わらず、堂陽での私は仕事漬けの生活だった。
勿論家族にも、よく接している。
民からは偉大な領主さま、家族からは偉大な父親ともてはやされる。
弟を恐れ、憎み、嫉むような私が偉大とは、いかに滑稽なことであろうか。
そして、そう持ち上げられるほど私は民や家族に優しく、そして偉大であるように振舞う。
それは私の中に潜む弟の影を忘れるためでもあり、またそうした己の汚れを周りにさとられないためでもあった。
慕われれば慕われるほど、仮面を塗り固めていく。
弟を恐れる私と、周囲から好人物だと愛される私。
一体どちらが本当の私なのか・・。
それは私自身も分からなくなっていた。
そんな時都から人が訪ねてきたのは、薄暗い雨の日のことだった。
男は私のかつて親しくした者で、今は郷里の親戚に会いに行く旅の途中だという。
懐かしい顔に、思わず私の口元もほころぶ。
しばしの旧交を温めあう、緩やかな時間。
しかしその様な時間は、男の一言であっさりと瓦解した。
「それはそうと、弟君の事はめでたいことでしたな」
「は?」
「仲達殿が仕官なされたと・・聞き及んでおりませんのか?」
「いえ・・まぁ・・家族とはあまり連絡を取り合っておりませんで」
「そうでしたか。弟君の仕官が決まったそうですよ。今は確か、公子の子桓様の元で働いておられるとか」
「はぁ・・」
やはり仕官が決まったか、と思うと同時に腑に落ちない点がある。
私が弟に仕官を勧めてから、すでに数ヶ月が経っている。
かなりの時間があいている計算だ。
だとすると、弟はあれから仕官しようとすぐには動かなかったのか。
無性に苛立った。
我ながら理不尽だとは思う。
「まぁ、決まるまでは色々あったとは言え、仕官が決まったのは良かったです」
「色々?」
私がそう返すと、男はバツが悪そうに俯いた。
言いにくいことがあるのは明らかだった。
「何かありましたか?」
「ん・・いやぁ。弟君が言われてないのなら、何も私から言うことではないかと」
男としては、気を利かせて言ったであろう事は分かる。
だが私にとって、その言葉は逆効果にしかならない。
「弟の事などどうでもよい」
「え?」
「とにかく・・何があったのです?」
有無を言わせない私の口調に観念したのか、男は重そうに口を開く。
「仲達殿は、丞相閣下からの仕官の要請に乗り気ではなかったようでして、理由をつけて断ったらしいのです」
それはまぁ、あの時の弟の様子から無理からぬ行動ではあった。
「しかしその・・閣下はああ言うお方ですゆえ、その返答に満足しなかったと」
「ええ・・そうですか」
曹操と言う男は優秀な人材を自分の手元に集めることに関しては以上に執念深い男であり、仕官を拒んで山に逃げ込んだ男がいたときは、山に火をつけて燻り出したとも言う。
軍神の誉れ高い劉備軍の関羽に、天下の名馬赤兎を下賜して味方に引き入れようとしたことは有名な話である。
結局、その願いは叶えられなかったわけだが。
「それで、なんと仲達殿のお宅に刺客を送ったとか」
「なんと」
俄かには信じられぬ話だが、あの男ならやりかねないというような気もする。
「刺客に恐れをなすような奴であるなら、要らぬと判断しようとしたらしいのですが・・」
「弟は毅然と追い払ったと」
「ええ、まぁそうです」
いつもは何を考えているか分からぬような所のある弟であるが、いざと言う時の行動力には眼を見張るものがある。
だからこそ、私はこの弟に油断がならぬと思わずにはいられない。
「閣下はどうしても仲達殿が欲しくて仕方がなくなったそうです。しかし、仲達殿は相変わらず病気と称して仕官には応じなかった」
「ええ、それで」
「今度は兵士を家に向かわせたそうです。仕官に応じなければ引きずり出せ、と命を与えて」
「・・・・それでは」
強迫ではないか。
「それを知った仲達殿は、やっと仕官に応じたようです」
「・・・そうですか」
すっかり暗くなった雰囲気を気に病んでか、男は場を紛らわせるようにコホンと咳払いをした。
「まぁ、経緯はともかくとして仕官されたのはめでたいことではないですか。
やり方はどうあれ二度も人をよこすくらいですから・・相当仲達殿に期待されているということでしょう」
「・・・」
男は知らないであろうが、正確な回数は三回だ。
兄の私が一度派遣されたからだ。
三度も仕官を求めたと言えば聞こえは良いが、その方法はどうみても脅迫。
礼を尽くしたとは言いがたい・・。
そしてその要請の引き金になったのは、私が弟を紹介した事。
その様な目にあいながら、原因である私には何一つ言ってこない。
(弟は、仲達は何を考えている・・?)
何故なにも言ってこないのか。
弟の沈黙が恐ろしい。
〜〜〜〜
結局、何ヶ月が過ぎようと弟が何か言ってくる気配は無かった。
私もあえて連絡をとるような真似はしない。
こちらから連絡をとろうとすれば負けだ、とさえ思い始めていた。
弟がきっと私を赦すはずは無い。
なにか罠を仕掛けているのでは・・・。
弟の影を振り払うべく、仕事に没頭する。
その繰り返し。繰り返し。
いつしか私はその政治手腕を認められ、袞州刺史となっていた。
その袞州へ、私を訪ねる者があった。
尚書の崔?である。
「いや、司馬朗どのお元気でお過ごしかな」
「これは崔エンどの・・お久しゅう。こんな急にどうなされましたか」
「丞相からの伝令を伝えに来た」
「閣下からの?崔エンどのがわざわざ・・」
彼が懐から取り出した伝書を受け取る。
確かに魏公の印が押されている。
「いやいや特別よ。丞相は貴公に感謝をしておるようだから」
「閣下が?」
「うむ、公子に仕えておる貴公の弟・・仲達どのを紹介されたことをかっておるのよ」
「・・・・・」
「公子と仲達どのは随分と馬が合うようでしてな。なかなか寵愛されておる。
父親としては喜ばしい限りでしょうから。それにそれがしも貴公と話がしたくてこの役を請け負った次第よ」
「・・・そうでしたか」
「それがしも仲達どのと親しくさせてもらっておるが、彼は才気煥発。なかなかの逸材よ・・いずれこの国を背負って立つ男になるだろう。
今こそ、いち公子の側近として収まっておるに過ぎんが、公子が王位を継げばその才を如何なく発揮すること間違いない」
「・・崔エンどの。何が言いたいのですか」
「・・ふむ、単刀直入に言おう。弟を説得してみんか?」
「説得?何を」
「仲達どのは出世意欲が無さ過ぎる。何故だかわかるか?」
崔エンは関係あるか分からないことを口にした。
「・・さぁ」
「貴公と、父君に遠慮しておるのよ」
そうなのか?
そうだとしても、それが私に何の責任があるというのか。
私を責めるつもりならお門違いも甚だしい。
遠慮するもしないも弟の勝手。
私は一言もそんなこと頼んだ覚えは無いのだから。
「だから兄の貴公から・・」
「崔エンどの」
「ん?」
「お帰りくだされ」
「し、司馬朗どの・・」
「お帰りくだされ崔エンどの。誰か!客人がお帰りだ・・お送りせよ!」
有無を言わせず崔?を帰らせる。
「司馬朗どの・・話を聞きなされ」
「崔エンどの・・その仕事を頼まれる責任は私にはないですな。お引取りなされよ」
「なっ・・責任がないだと?貴公は兄であろう!」
「それが?」
「自分より優れた弟に道を拓いてやるのが兄としての役割ではないのか!?」
何を言うのだろうこの男は……、呆れてものも言えない。
私は深くため息をついてから、従者に連れられていく愚か者に一言かけた。
「確かに私は弟に劣ります。・・それならばこそ私が導く必要などありませんな」